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介護の言葉④「これからが、大変だから」

 この「介護の言葉」シリーズでは、家族介護者に対して使われたり、場合によっては、直接言葉としてかけられたり、また、介護を考える上で必要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。今回は、第4回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います。

 第4回目は、「これからが、大変だから」という言葉について考えてみたいと思います。
 これは、これだけ聞くと、何のことか分かりにくいと思いますので、まずは、そうした言葉が発せられる状況から考えていきたいと思います。


「これからが、大変だから」が発せられる状況

 「これからが、大変だから」と、言われる側は、多くの場合は、まだ介護を始めたばかりの家族介護者です。
 
 介護直後の混乱が少し落ち着いて、でも、なんとなく、まだ先が見えていない。
 初めて介護者となって、これからのことを知りたくて、同じような家族介護者の先輩、もしくは、医師や看護師や、ケアマネージャーなどの専門家に、いろいろと尋ねたり、現在の状況を話したりすると思います。たとえば、認知症の場合でしたら、何度も、同じことを繰り替えして困るんです、といった訴えは、おそらくは代表的なものでしょう。初めて経験することですし、かなり強く負担になる可能性もあるので、悩みとして話したくなるのも自然なことです。

 ただ、こうした悩みを訴えた時などに、「これからが、大変だから」と言われてしまうことがあります。
 
 それを言っているのは、相談を持ちかけられた専門家、もしくは、もっと重い状態になった要介護者を介護している家族介護者の方々です。その意味合いとしては、こんなことだと思います。

 介護をしていくと、要介護者の状態は、悪くなることはあっても、よくなることはない。これから先、もっと大変になるのだから、今の大変さはまだ小さくて、慣れてくると思う。小さいことを気にすると、よけいに辛くなるから、介護はやっていけない。これから先も長いから、がんばっていきましょう。

  それは、善意の気持ちで言われているのは、間違いありません。
それでも、その言葉をかけられたほうは、ひそかに気持ちが萎えることがあります。相手が善意であるのはわかっているので、異議も言いにくいし、ましてや、何か非難めいたことも言えないので、なんとも言えない無力感や、諦めみたいな気持ちになっている家族介護者もいると思います。

 今回、特に難しいと感じているのは、どうして「これからが、大変だから」ということを言われて、傷付いたりする可能性があるのか?が、理解されにくいのでは、と思ったからです。

 もちろん「これからが、大変だから」を、善意で伝えようとしている方々を非難しているわけでもありません。それでも、そんなことまで考える必要があるのならば、何も言えなくなってしまう、と感じられる専門家の方も、いらっしゃるかもしれません。

「これからが、大変だから」と言われた気持ち

 まずは、そう言われた家族介護者が、どうして、そんな気持ちになるのか、から考えていきたいと思います。

 誰でもそうですが、初めて家族介護者となり、直面する様々な出来事は、どれも未経験のことばかりです。その当事者にとっては、そうしたことがあるたびに、ショックを受けたり、落ち込んだり、思わず怒りがわいたりするのも自然だと思います。

 そして、どこかで、要介護者の家族が、またよくなるのではないか、と言う気持ちも捨てきれないことが多いでしょう。その希望があることで、様々な症状の悪化が、より厳しく精神的な負担につながることもあります。

 そうした経過も含めて、先に介護を始めている人たちだったら、何か、今の状況が少しでも楽になるようなことを知っているのではないか。もしくは、医療や介護の専門家だったら、様々な経験をして、いろいろな要介護者や家族介護者を見ているはずだから、今、自分が直面している要介護者の、理解しにくい行動や言動のことも、より分かっているかもしれない。

 そんなことを期待して、相談などをして、もし「これからが、大変だから」と言われたとしたら、それが善意だとして、もしくは、励ましの意図があったとしても、がっかりしてしまうかもしれません。

 介護の経験者の先輩として、もしくは介護に詳しい専門家として、介護を始めてまもない状況にも詳しく、介護初心者の気持ちに対して、共感までは難しいとしても、他の人たちよりも深い理解をしてもらえるのではないか、といった期待があったかもしれません。

 それなのに、「これからが、大変だから」と言われてしまったら、「いま、ここ」で困っている話ではなく、未来のことを話されているような戸惑いがあるのではないでしょうか。言葉は強いかもしれませんが、現在の自分の状況を否定された、と思う可能性すらあります。

 相談や悩みを訴えている家族介護者が望んでいるのは、おそらくは、「いま、ここ」での悩みや困難さに対応している、そのことを、まずは、ねぎらって欲しい、ということだと思います。それなのに、その大変さに関する話は、どこかにいってしまい、それより「これからが、大変だから」と、「いま、ここ」の話をされない、ということは、今の自分を大事にされていない、といった気持ちにつながりかねません。

 以上のことは、推測の部分もありますが、そんな様々な要素のために、「これからが、大変だから」が、無力感やあきらめにつながっているのだと思います。

「これからが、大変だから」を言う専門家の気持ち

 さらに、繰り返しになる部分もありますが、「これからが、大変だから」を伝える方々の気持ちも、改めて考えていきたいと思います。

 まずは、介護関係、医療関係など、専門家といわれる方々の気持ちです。

 専門家といわれる方々は、1人を介護している家族介護者と比べると、圧倒的に、要介護者といわれるご高齢者を、数多くみているはずです。施設に来る方々は、かなり症状が重い方々も少なくなく、そうした方々をプロとして介護をしたり、診察をしたり、リハビリをしたりしていると思います。

 そうした時間の中で、経験を積まれていくと、たとえば、初期認知症の方々は、重い方々に比べると、元気に見えたり、健康に感じたりする可能性もあると思います。同時に、そうした初期の方々への対応は、相対的に、楽に感じられることも、あるのではないでしょうか。

 そうした経験値を持つ専門家から見ると、たとえば認知症としても、まだ症状が軽い要介護者をみることは、それほど大変さがあるように見えない可能性もあります。そして、介護を続けると、だいたいの場合は、いやでも要介護者の症状は下っていくので、どんどん大変になるのが一般的です。

 そうした経験を積んで、重症となった認知症の高齢者を日常的にみている介護専門家、医療関係者からみたら、初期認知症の方々が起こす様々な出来事は、かなり小さいことに見える可能性はあります。

 家族介護者が、介護を始めてから、これから先に遭遇するであろう困難は、介護が始まったばかりの時のことと比べると、はるかに重く、もしかしたら、その時の(未来の)対応の方が、専門家としては、すでに気になってしまうのかもしれません。そうであれば、その心の準備を含めて「これからが、大変だから」といった言葉を投げかけてしまうのも自然かもしれません。

 ただ、そうしたプロとしての配慮や善意も、「いま、ここ」の悩みの中にいる家族介護者にとっては、届かないこともある、ということだと思います。

「これからが、大変だから」を言う家族介護者の気持ち

 次は、ベテランの家族介護者が「これからが、大変だから」という場合の気持ちです。

 こうした介護者の方々は、初期に比べたら、要介護者の症状が下り坂となり、もしかしたら、介護を始めた頃には、介護者自身でも想像もできなかった困難さにも数多く遭遇し、今も、そうした日常を過ごされていると思います。

 そうした、いってみればハードな時間の中にいて、厳しい対応を迫られる繰り返しを続けていると、おそらくは、介護を始めたばかりの時の不安やとまどいは、いつまでも抱えられず、現在の大変さによって、上書きされている可能性も高いと思います。それは、ベテランの家族介護者にとっての「いま、ここ」の困難に対応するための、自然な適応だとも考えられます。

 そうしたベテランの家族介護者にとってみれば、介護が始まったばかりの介護者の戸惑いや悩みは、これからもどんどん厳しくなる介護環境のことを考えると、今から、そんなに悩んでいたら、心身がもたない。だから、あまり細かく悩まないほうがいい。というような、全くの善意から「これからが、大変だから」というアドバイスとしての言葉を伝えているのだと思います。

 それでも、その言葉が、介護を始めたばかりの家族介護者にとっては、違った気持ちを引き起こす可能性もあります。
 今、こんなに大変なのに、これから先、もっと大変になったら、とてもじゃないけれど、介護は続けられないかもしれない。
 そんな絶望的な予言に聞こえてしまうことさえあり得ます。

 もちろん、誰が悪いというのではなく、同じ言葉が違って伝わってしまうというような不幸な例だとは思います。

セルフヘルプグループでの「強さ」の張り合い

 ところで、家族介護者のセルフヘルプグループは全国に多く存在し、その中には、男性介護者の会もあります。あるグループでは、今回述べてきたようなことが、もっと極端な形で繰り広げられているようです。

男性たちのセルフヘルプ・グループに「弱者が弱者のまま存在することの否定」の圧力が瀰漫(びまん)していたのはーー少なくとも脱退者がそう感じたのはーーそれもまた岡野のいう主流の社会のあり方が前提となっていたからだと推測できる。

 これは、やや分かりにくい表現になっていますが、せっかくのセルフヘルプグループが、弱音を吐くというよりは、自分はこれだけやっている、といった強さのはりあいのようになっている場合もあるという報告です。その場所では、おそらくは、まだ介護を始めたばかりの介護者に対して、「これからが、大変だから」という言葉は、強さの張り合いの言葉として、多く聞かれそうです。

 私自身は、介護に関わりづけて20年がたちますが、前述の引用のような『「弱者が弱者のまま存在することの否定」の圧力』を家族介護者の集まりで感じたことは一度もないので、家族介護者に関しても、いろいろな場所があるのだと思います。

 それでも、これは、経験のある者が、まだ経験を積み始めた者に対して、いわゆる「マウンティング」をとってしまう、という、現代の社会では、どこでも見られやすい光景という言い方もできるかもしれません。

「これからが、大変だから」から、優越感を取り除くには、どうすればいいのか。

 今回、いろいろな場合を述べてきましたが、「これからが、大変だから」という言葉が発せられる動機は、基本的には善意だと思います。

 ただ、言われた側が、もし傷ついたりする場合には、そこに、介護者としての自身の経験の優越を、無意識にでも誇ってしまう要素がある可能性は、ゼロではないと思います。

 そうしたことが極端な形で現れてしまったのが、前項で紹介した「男性たちのセルフヘルプグループ」(「介護する息子たち」)のような場所で、ここでは本来の意味での「セルフヘルプ」は難しくなってしまうと考えられます。


 もし、こうした現象が起こるのであれば、それは優越を誇ろうとする介護者の気持ちへの想像が、必要になるのだと思います。こうした場合、おそらくは大変な介護をされているにもかかわらず、そのことが十分に労われていない。もしくは、正当に評価されていないから、優越感を誇ろうとする形で出てきてしまう可能性は、考えてもいいのではないでしょうか。

 介護を始めたばかりの家族介護者の、「いま、ここ」の大変さが、きちんと労われ、正当な評価がされることで、その負担感の減少が可能になるように、長く介護をしてきている家族介護者の、「いま、ここ」の困難さへの、労いと評価も、当然、必要だと思います。

 もしも、「これからが、大変だから」に自身の優越感が入ってしまうのであれば、その場合は、その人の介護行為への丁寧な労いと、正当な評価が十分に行われているか。その確認は必要だと思います。

 今回は以上です。
 ご意見、疑問点などがございましたら、コメント欄などで、お伝えいただければ、時間はかかるかもしれませんが、出来る限り、ご返答したいと思っています。


(他にも介護に関して、いろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしく思います)。

「家族介護者の気持ち」②「いつまで続くか、分からない」と、「先を考えられなくなる感覚」

『介護時間』の光景① 「母娘」

介護books③「介護に慣れてきたけど、希望が持てない人に(もしよろしければ)読んでほしい6冊」

介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由①

「介護相談」のボランティアをしています。次回は、2020年 7月22日(水)です。



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