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0. はじめに:音楽理論とは

音楽理論とは

このnoteマガジンで私が「音楽理論」と言うとき、それは、クラシック音楽の理論、すなわち、いわゆる「楽典」と、ジャズを含む広義の「ポピュラー音楽の理論」の両方を指します。

私の考えでは、そもそも音楽とはまずもって、人間の心、感情、感性、生理などに(究極的には「魂」にまでも)訴えかける、音を用いた芸術です。他方で、理論とは、人間の理性や論理的・分析的な思考に訴えかけるものです。これから音楽理論の話をしようとしているのに、のっけから恐縮ですが、音楽と理論とは、決して相性がよいとは言えません。「音楽」と「理論」の緊張関係は、人生において誰もが経験する、「感情」と「理性」の緊張関係のようなものです。その意味では、音楽理論というものは、感情を理性の力で捉え、解明しようとする「心理学」に、発想がちょっと近いかもしれません。

人は人生において「感情」と「理性」のどちらを優先すべきか――それは簡単な問いではありません。しかし、「音楽」と「音楽理論」のどちらが優先するかといえば、私はためらいもなく「音楽が優先する」と即答します。いくら音楽理論的に正しいと思われるものでも、実際に聴いてみて不快でしかない音は、やはり音楽ではありません。逆に言うと、「どのような音が心地よいのか?」を追及するかぎりでのみ、音楽理論は音楽の役に立つことができる、ということになります[注1]。音楽理論とはその程度のものであって、決して万能ではないということは、肝に銘じる必要があります。まして、音楽理論が音楽を縛り付けて雁字搦めにする、ということはあってはなりません。

しかし、だからといって、音楽理論が役に立たないわけではありません。それは確実に、ある程度役に立ちます。そして、その「ある程度」の範囲は、もちろん時と場合によりますが、基本的に、無視できないほどに広いと私は信じています。

「音楽理論」を「音楽」よりも優先させる愚を犯さないためにも、読者の皆様には、このサイトに書いてある音楽理論の話を決して鵜呑みにせず、ぜひ、折に触れて実際に音を出して、ご自身の耳で確かめてみることを強くお勧めします。具体的には、何らかの、音がちゃんと鳴る鍵盤楽器(2オクターブ以上あるもので、できれば4音以上を同時に鳴らせるもの)をお手元にご用意になることをお勧めします(手軽に安価に済ませるのであれば、カシオのSA-46などが良いかもしれません)。

音楽理論というものには、複数のアプローチの方法があります。私はここで、私なりのアプローチで音楽理論の説明を試みますが、そのアプローチが絶対だとはもとより思っておりません。また、私は職業的な音楽教育家ではありませんので、随所に基本的な誤りが含まれているかもしれません。他の音楽理論書や、信頼できる他のサイトなども適宜参考にすることをお勧めします。様々なアプローチに触れ、自分なりに吟味・比較・検討することで、あなたなりのアプローチがそれなりに確立したとき、初めて、音楽理論はあなたの骨肉となると言えます。特に日常的にアドリブ演奏や作編曲などを行う方には、骨肉化していない理論は、あまりにも考えるのに時間がかかりすぎ、使い物にならないことでしょう。

このマガジンで扱う範囲

このマガジンは「音楽理論夜話」と銘打ってありますが、音楽理論のすべてをここで書き尽くそうとは思っていません。そんな能力も時間も私にはありません。このマガジンでは、少なくとも以下のトピックを基本的に放棄します(ただし、これは、以下のトピックが重要ではないという意味ではありませんので、誤解なきよう願います)。

  • クラシック音楽の楽典についての網羅的な話

  • 音楽の歴史についての網羅的な話

  • 西洋音楽の伝統とは異なる伝統に基づく音楽についての話

  • ポピュラー音楽のジャンルごとの各論

  • リズムについての話(基本的なこともほとんど扱いません)

  • 各楽器の演奏法や練習法についての話

  • ミキシング、PAなど、音楽を音として電子的に出力する技術の話

  • その他、私が踏み込まないと決めた内容

では私が主として取り扱いたいのは何かというと、それは「音の高さ」にまつわる理論全般です。すなわち、音律、音程、音階(スケール)、和音(コード)、和音の機能などについてです。

また、基本的には、ポピュラー音楽に関わる方を読者として想定していますが、その際に、クラシックの楽典を適宜参照することを、このマガジンの特徴としたいと考えています。私自身、子供のころはクラシックピアノの習い事はしていたものの、今はクラシック音楽の道はほぼ完全に放棄して、ポピュラー音楽、それも主としてラテン音楽の道を邁進(?)しているピアニストです。私と同様、クラシックの経験を持ちながらポピュラー音楽の道に入る人たちのためには、このような書き方は有意義であろうと期待しています。

ところで、日本で流通しているクラシックの楽典の用語は、イタリア語・ドイツ語・日本語がほとんどです。他方、ポピュラー音楽の理論で使われている用語は、そのほとんどが英語です。このマガジンでは、この言葉の壁を一つ一つ丁寧に超えていくことも、副次的な目標とするつもりです。

このマガジンが、皆様の音楽理論の理解を深める助けになり、ひいては音楽を楽しむ助けになるとすれば、望外の喜びです。

脚注

[注1] ところで、「心地よい」とはいかなる事態なのでしょうか。あるいは、音楽における「快感」の正体は一体何なのでしょうか。これは、また別の、奥の深い問題です。私見をここで一つだけ述べるならば、私の考えでは、音楽における真の快感は、実は「不快感」に裏打ちされています。音楽は、単に不快なものを避けていれば快いものになる、という薄っぺらいものではないのです。

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