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(3) 比呂子 ー 花水木

部屋に戻った比呂子は、ベランダ側の窓をいっぱいに開けると、スタンドのスモールライトを燈し、ベッドに仰向けになった。

目を閉じると、
「俺って、チキンボーイってとこか」
と、農協のタオルを長髪をまとめバンダナのように器用に巻きながら、ふと見せた大地の日焼けした笑顔が思い浮かんだ。

揺れていた比呂子の心は、今日御宿の大地の農場まで出かけてみて、複雑ではあったが、多少安心できたのかも知れなかった。

木村大地は、比呂子と大学で同級であったが、
「東京は狭くて息苦しい」
と、訳の分からない言葉を言い残して、ワーキングホリデービザを取得すると、さっさと中退して姿を消してしまったのだった。
三年の夏だった。

音沙汰がないまま年が明け、比呂子が就職活動で忙しくなる頃、一通のエアメールが届いた。

Dear 比呂子様

きっと後悔すると思いながら、オーストラリアまで来てしまった。
比呂子に相談も説明もせず、本当にごめん。

ちょっとこちらの牛は日本の牛とは違う。形も色も大きさも何か変なんだ。顔がボォーっとしていて日本の牛のように目鼻立ちがはっきりしていない気がする。

今、牧場に住み込んでカウボーイしている。はっきり数えたことはないが、五千頭をはるかに超えている。見渡す限り遮る物がなく空と大地がくっついている。

得意のバイクで牛を追う毎日です。ここは間違いなく腹が空くし、心が・・・何て言えばいいか言葉が見当たらないが・・・透いてきた気がするんだ。

もう、決して普通の生活はできない。

                       南半球の青い空の下より

オーストラリアからのエアメール以来、一年音沙汰がなかった比呂子にとって、そんな大地は気になる存在であった。それは恋愛感情とはっきり言えるものではなく、近づき難いとでも言うか、不思議な存在であった。

思いがけない大地からの連絡は、腹立たしさと同時に驚かされるものであった。知らぬ間に帰国して、千葉の御宿に土地を借り鶏を飼育しているとのことだった。そんな人騒がせな大地の鶏牧場まで、比呂子は今日出掛けていたのだった。

「チキンボーイってとこか」
と、満面の笑みを浮かべながら言った大地の言葉を思い浮かべていた比呂子は、ベッドから起き上がると、ふと大地に手紙を書こうと思ったのだった。

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チキンボーイ 大地様

複雑な気持ちで御宿まで出かけました。

あなたの笑顔に出会えてとても安心したのですが、複雑な気持ちに変わりはありません。

「東京は狭くて息苦しいから」
と、突然大学を辞めて・・・忘れかけた頃、オーストラリアに居て
「空と大地がくっついている」
と言い・・・今回は御宿で
「鶏育ててるから・・・」

あなたらしいと言えばそうですが・・・ついて行くのが大変です。

あなたの牧場、正直言ってすごかった。あんなに広いと思わなかった。私はてっきり、昔田舎にあったようなひな用の鶏舎を想像していました。確かにひな用の鶏舎はありましたが、放し飼いって言えばいいの?そうだとは思いませんでした。

入口から長いアプローチがあって、その両脇にピンクと白の花水木が交互に何本も植えてあって・・・私感激で涙が出ました。

私、いつかあなたに告げたかしら?花水木の花が好きだってこと・・・
「この木、どうしたの?植えたの?」
って聞く私に、
「馬鹿野郎、こんなもの植えたりするもんか。元々あったんだよ。なんてんだ?この木、よく知らないんだ」
なんてとぼけていたけど、どの農家見ても花水木なんてどこにも植えてなかったわ。あなたの丸太小屋までのアプローチは新しく造成されたものだし、花水木が元々あったとは思えないわ。

そういうあなたの心遣い、とてもあなたらしいと思うの。

「そうだ、君の為に植えたんだ」
なんてのは嫌だけど、あなたの心遣いは痛いのよ・・・心が痛むのよ。

ひな舎でね、ひなに餌をあげながらあなたの後ろ姿見てて、
「かわいいね」
って、私が言うと、
「こいつら見てると、俺の仕事は何だって思うんだ。こんなかわいいひな達をおおきく育てて、結局食っちまう為に出荷するんだと思うと残酷すぎてサ、俺鶏肉食えなくなっちまったよ。オーストラリアで牧場に居て、牛肉食えなくなってサ・・・そのうちコメでも作り始めたら米も食えなくなりそうだってか?」

冗談めかしてあなたは言ったけど、心がとても痛むのよね。

朝、農協へくず野菜を貰いにトラックを出して、餌を作ると二時間かけて鶏たちに与え、決まって海に出るあなた。波も立ってないのにボードを用意してじっと海を見つめて
「もう、普通の生活は出来ない」
って、独り言を言う。

本当はどう生きても傷ついてしまうから、迷って迷って・・・今の生活でも心から安らぐこと出来ないのよね。

今回はね、きっとあなたからプロポーズの言葉があるって確信していたの。少し不安でいてどこかで心が弾んでいたわ。あなたの様子じっと観察しながら、思ったの。

「この人、一生プロポーズしないだろうな」
って。

あなたは私を巻き込めないのよね。すごい心遣いだと思うわ。本当にそういうのって痛いのよね。

丸太小屋までのアプローチ、好きだわ。手作りのベンチがあって・・・何て言ったかしらアメリカ製のあのトラック。所々塗装が剥げていて錆が出ているのが停まっていて・・・。

並んだ花水木綺麗だよ。

東京までの電車の中では気持ちが重かったわ。今、あなたに宛てて手紙を書きながら、ずいぶん楽になって来た。

丸太小屋の壁にカウチンのセーター掛けてあったわね。あなた、あのセーター着れないのよね。痛いんでしょ、私があのセーターを編むために費やした時間が重過ぎるのよね、あなたには・・・。

花水木を植えてくれてありがとう。プロポーズ、言えなくていいの。花水木を植えてくれたことで十分よ。セーターも着なくていいよ。無理して生きなくていいんだから・・・。あなたはあなたらしく・・・それでいいのよ。

私、あの花水木とひなたちのお世話しようと思うの、一生かけてね。

                       大地様   比呂子より

追伸:アップライトだけど、ピアノを置くスペースはあるかしら?

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