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憧れの人は、自分を知るために存在する

憧れの人はいますか?

でもどんなことも、結局は「自分」というフィルターを通してみてるので、なんだかんだは自分を理解する、知るきっかけでしかありません。

心理学の世界では「自分が嫌いな人は、自分の中に似たような嫌いな要素があるから嫌うのだ」ということになってるっぽいですが、憧れもまあまあそれに近いものがあるのかなぁと感じます。

ただちょっと違うのは、”嫌い”というのは感情に対して、”憧れ”は自分が本来もつ力や素質の方向性を示してくれる存在であることです。

憧れの人を書き出してみる

皆さんの憧れの人、いらっしゃいますか?わたしもこういうワーク的なことをよくやるのですが、毎度毎度、自分の答えに驚かされます。

答えを出して、ここから傾向を読み解いていくのが面白いのですが、っていうかそれが一番骨が折れる・・・・。

慣れてないと、「世界を見てる目が広い」「原理原則を理解してる」みたいな人に読み解きを手伝ってもらわないと、全然浮かび上がってこないやん・・・・も事実です。むずい。

あとは、付き合いが長い人同士とかでも読み解きははかどる気がします。

その人の世界観っていうのは、結構どこからでも醸されるものですね。

世の中には、「憧れの人を上、自分を下」という風に捉える人も多いようですが、比べるのではなく、自分の興味がそこに表現されてるだけと捉えれば、憧れには「自分の内面の表現」が表れてる気がします。

比べてみじめな気持ちになってしまうより、そこはエッセンスを取り、そういう方向性を自分はとっていきたいんだなぁ、という理解をすればOKと考えています。つまり、憧れの人は生きるヒントです。

周りの圧にめげない

ただ、結構問題なのは、当人がそういう指向性を持っていても、周りがさせないようにブロックしてくる場合もあります。

「っぽくないよ!」とか「らしくないなぁ〜」とかいうやつです。当人が「したい」と言ってることが真実なので、周りからの押し付けはかなり迷惑な話。

外圧というのが、親だろうが、周囲だろうが、なんかしら存在します。むしろ愛情や情感が関わるほど、面倒になることは皆様もご承知。そことうまく距離を置き、自分の内面を大事しながら過ごすというのも重要なコツな気がしますね・・・。

そういう圧をかけてくる人もまた、自分の思いを勝手にこちらにぶつけてきてるだけなので、スルーでOKなのです。

あらゆる人が、自分の素質を伸ばしていけたり、抑圧なしで暮らせるようになるといいなぁと思うばかり。もっとみんなが過ごしやすくなるには、一体何があるんでしょうねぇ。

それではまた明日〜