愛を考えるためのブックリスト

友人から、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んだが、親和性が高すぎるので、ほかの考え方も踏まえて、「解毒」したいという連絡があった。そういうメッセージを気軽にくれる友人に感謝するとともに、愛について考えるためのブックリストをつくった。


まずは話の発端になった、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」。フロムの主要な主張は、英題にあるとおり、愛は技術であるという点に集約される(The art of loving)。技術であるから、うまくなることは可能であり、習練することもまた、可能である。


西洋哲学は全てプラトンの注釈に過ぎないと言われるが、愛というテーマもまた、プラトンによって語られている。愛の本質は、自分にとって良いものを追い求めることだから、哲学への愛、スポーツへの愛もありうることを認めつつ、異性愛は子供を残すことを通して死から離れ、永遠性へとつながる点で差異があることを、ソクラテスを通して語っている。


トマス・アクィナスの「愛」は、神学大全を読むべきであるが、輪郭は山本先生の論文で十分につかめる。「おそよ憎しみは愛から原因される」という引用から、憎しみがあるとき、そこには必然的には愛があることを様々な具体例を通して描く。


アガンベンに関しては、私の好きな一節を2つ引くだけで十分だろう。

怒りや喜びといった情動は、私たちの内に偶発的に生まれては死ぬものであるが、情念である愛と憎しみはつねにすでに私たちのうちにあり、私たちの存在を起源からすでに貫いている。私たちが「憎しみを養う」とは言えるが、「怒りを養う」とは言えないのはそのためである。(アガンベン. 思考の潜勢力. p380)
人間が世界の中に導入するものは閉ざしへの開かれである。記憶は忘却の保持である。愛はこのようなことを全て被る。愛は現事実性自体の情念にして開陳、存在者の縮減不可能な非自体性の情念にして開陳である。愛は「自体的な運命を二人で互いに覆い合う可能性である。ジャン・リュック・ナンシーによればの美しい表現によれば、愛とは私たちが司たりえず司どれぬもの、私たちにはけっしてたどえりつけないけれども私たちにつねに起こるものである。(アガンベン. 思考の潜性力. p390-391.)


愛とは一見何の関係もないように見える。しかし、なぜかこの世界は自分の眼からしか見れないし、自分の痛みしか感じることができない、ということに気づいてしまうと、愛をどう位置づけるかが悩ましくなってくる。その意味で、問いが立っているなら以下2冊からは、愛についての気付きをほぼ無限に得られる。


決して正解を示してくれる本ではない。ただし、愛という現象・問題の本質に分け入っていく師匠として、「背中から学ぶ」に適している本である。苫野に同意する部分も反発する部分もあるだろう。それはなぜかを一つずつ言語化することが結局のところ一番近道なのだ。


ストレートに愛を論じてはいないが、幸福と愛の関係はメイントピックになるはずなので、幸福の側から1冊と思った一冊。こんなに濃度の高い哲学書を読めるなんて、やはり日本の学術水準は高いことに感謝が堪えなくなる。


人生を規定するような対象との出会いを「恋」と呼び、その対象を深く探究しつつ、その対象とともに人生を歩むことを「愛」と呼ぶならば、岡本太郎にとってピカソは間違いなく「愛するべき」だろう。







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