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ドレッドヘアと私と彼ら彼女らと。

自分と海外を最初に繋いでくれたのは中学生の頃に出会ったHIP HOPダンスだった。当時はそれがアメリカの黒人文化だとか認識はしていなかったが、続けるうちに自ずと理解が深まっていった。高校生くらいの時には「いつかブルックリンに行って本場の空気を吸うんだ」なんて思っていた。思い返せばそれが自分にとって最初の「海外への憧れ」だ。
それから10年後。初めての海外、しかも旅行ではなく留学という形で降り立ったのはアメリカとはまさかの逆方向のイギリス。その10年の間に紆余曲折あり自分の状況も考えも色々と変わった末の行き先だった。
場所はオックスフォード。ロンドンから電車で1時間半、バスで2時間の言わずと知れた学園都市。もちろん自分なんぞがかの有名な大学群の学生になったわけではなく、オックスフォードの片隅にある外国人向けのファウンデーションスクール(大学入試準備学校のようなもの)に通っていた。最初は英語の勉強のため1ヶ月、それで基準をパスできれば1年間。今も変わらない言語能力の低さのおかげでその1ヶ月は必死に勉強し、なんとかギリギリクリアした。
もちろん勉強以外も必死に楽しんだ。週末にはロンドンへと繰り出し、結果その1ヶ月の間に髪の毛はドレッドヘアになっていた。

遅れてきた学生デビューだ。

本格的に1年間のファウンデーションコースが始まってからも相変わらずの稚拙な英語力だったが、それでもデビューの勢いが止まらない自分は安い回数券を使いバスに乗りこみロンドンの街へと繰り出すことをやめず、お金を靴下に入れてクラブに突入するという古典的な手法も楽しんでいた。幸いなことにカツアゲもスリも逆ナンパにも縁は無かった。

ロンドンもヨーロッパの中では言わずとしれた国際色豊かな街だ。特にディープな遊び場が多々存在するテムズ川を挟んで南側はアフリカ系の人達が住んでいるエリアも多い。あるまだ日の出ていない朝方だっただろうか。そろそろ帰ろうとフラフラしていたところ、アフリカ系の3人組が道端でたむろしていた。考えの甘い人間ではあるものの危機管理意識だけは持ち合わせている自分は「絡まれたら怖いなー」という思いからさりげなく反対車線に向かおうとした。結果見事に捕縛された。

「おい、お前どこの出身よ?見ねー顔だな。」
おそらくそんな感じの質問に精一杯の虚勢で稚拙な英語を繰り出す。
「ええっと、日本から来た。留学してますんよー。」
「お、日本か!いーねー。でもなんでこの国なんよ?」
「んー…ドラムンベースを聴きに。」
「あーそりゃ間違いないわ。お前なんちゃらってクラブ知ってるか?何番のバスでなんちゃらってとこで降りて…」

自分の予想と反して彼らは親切だった。こちらの未熟な英語もしっかりと聞きながら、「つまりこういうことだな?」と注釈も入れてくれるナイスガイだ。
じゃーな!楽しめよ!的な感じで彼らは去っていった。

もちろん自分は運が良かっただけでロンドンでの危険な事例は枚挙に暇がない。しかしながらそれ以外の経験も含め、おそらく漠然とあった自分の中にある偏見のようなものは取り除かれ始めていた。

それから1年後。様々な理由からオランダを拠点にヨーロッパをフラフラしていた時のことだった。
ベルギーのブリュッセルはあまり知られてないが、ここもまた他民族が暮らす街で、通りを歩けば様々な国籍のレストランが並ぶ独特の賑やかさが特徴だ。
それは初めてブリュッセルに来た日で、たまたま電車の座席で隣同士になった日本人と談笑しながらブリュッセル南駅を歩いていた時だった。方向を確認しようと立ち止まると後ろに人影を感じた。あ、邪魔しちゃったなーと思いSorryと言いながら振り返るとそこにはベビーカーを引きながら片手に子供を抱えたアフリカ系の女性が立っていた。背が高くサングラスを付けたその風貌にちょっとした威圧感を感じながらの多少の間の後、その人はおもむろに私の頭を指差し、そして無表情なままその手をグッドにしてゆっくりと去っていった。英語が分からなかったかのかは定かではないが、その瞬間の自分の中の高揚感は今でも忘れない。

なんてクールなんだ。

その頃は「黒人以外でドレッドヘアをしているヤツは文化の盗用だ!」なんて話もよく聞いていた時代だったのでその感動はひとしおだった。
思い返せばオックスフォードにいた頃も「よう兄弟!その髪の毛どこでやったんよ?」とか、通りすがりの2人組が「見た?いいなぁおれもあのヘアスタイルやりたいんだよー」と話していたり。学校でも話しかけてもらえるきっかけになったりと、その後も今に至るまでこのヘアスタイルは黒人だけでなく様々な交流をもたらしてくれた。

ある人からすれば文化の盗用に見えるかもしれない。ただ自分にとっては初めての海外への憧れの形であり、今ではその文化への感謝の印だ。
スタイルだけでなく、私は今でもクラブでHIP HOPがかかるとテンションがあがり、体が勝手に動きだしてしまう。もちろん色々な音楽や文化に興味があるが、今の自分の文化を作り上げたベースはあの時に憧れたHIP HOPであることは間違いないだろう。

中学生での出会いから20年が経ち、今の私はダンスバトルの素晴らしさ、その成り立ちや意味を知っている。自分の体験から彼らの優しさや暖かさを知っている。
未だブルックリンには行けていないしアメリカの社会を経験したこともない。それでも私は彼らのその優しい精神や文化は繋がっていると信じている。

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