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赤ちゃんが宿るということ

わたしには既に2人の可愛い息子がいる。
およそ2人とも妊活を始めて3ヶ月でできた子だ。

妊娠経過も悪くなく、長男はつわりで何度か吐いた事、次男は初期の頃に1ヶ月ほど出血が続いたこと以外に大きな問題もなく元気に産まれた。

私の周りも妊娠出産を経る友人も増えてきて
中には不妊治療や流産という話も聞くが
ほとんどの人が元気な子供を産んでいた。
(そういう以外の話が私の耳に入ってきていない可能性は大いにある)

それゆえに、自分の中でも妊娠出産は
奇跡という重みに鈍感になっていたのかもしれない。

今回3人目の妊娠をした。この子も妊活を始めて3ヶ月後だった。

仕事が辛くストレスばかり溜めていた毎日。
どうにかならないものかと、はやく産休に入るしかこの生活からは抜けられないと思っていた。

だから、妊娠がわかり嬉しかった。
3人目が欲しいと願っていたし、この生活からも抜け出せられると救世主がやってきたような気持ちだった。

でもそのやましい心が良くなかったのか。

生理周期の割には胎嚢が小さく赤ちゃんの姿(胎芽)は確認できず不安になった。

心の中でなんとなくダメなのかなと
期待を作り上げないようにした。

そこからは激しい腹痛も無く穏やかな日々。
次に診る時には心拍まで確認できるかもと
甘い期待もしてみた。

ネットでも何度も検索して、排卵日が遅れていた可能性もあるなと希望を探し出したりした。

そんな中、出血した。真っ赤な血がでている。
だんだん生理痛のおもための痛みが伴う。
2日目の生理のような血の量と痛み。
陣痛の中盤頃の痛みとも遜色無かった気がする。

夕方から一晩安静にして耐えたけど
朝になっても血は止まっていなかった。

トイレに行けば真っ赤に染まった便器とナプキン。

レバーのような塊は無かったけど
心では、「きっと流産だろう」と悟った。

3回に1回の割合でこのようなことは
起きるよと産婦人科の先生は言った。

予め覚悟をさせてくれていたおかげで
その場でも冷静に受け止められた。

なんとなく妊娠した時からこの子はきっと生まれてこれないと悟っていたかのように
その結果は身体の中にスッと入り込んだ。

初めての流産。
エコー写真を写真立てに入れた。
胎嚢しか写っていない。
でも妊娠した事実がある。
それは紛れもなく私たち夫婦にとって3人目の子供だ。

流産後にある友達に報告した時、妊娠と聞いて反射的におめでとうと言ってくれた友達がいた。

私はそれが嬉しかった。
友達はその後に流産してしまったと聞いてごめんと言ったが彼女の「おめでとう」に私はなにも悪い気はしなかった。

だって妊娠は奇跡だ。
妊娠に気づいてからほんの短い間だったけど
間違いなくお腹の子の母親だったから。

産んであげられなくてごめんね。
でもママは、あなたがお腹に来てくれたおかげで仕事から離れる勇気を持てました。

次戻ってきてくれた時には
しっかりと元気に大きくなれるふかふかの
ベットが用意できるようにするね。

あなたには感謝しかありません。
ママはいつでも待ってます。
みこちゃん、ありがとう。
あなたを抱けるその日まで。