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否定と肯定、どちらが先か。

友人達と話しているときに、過去に戻って一つだけやり直せるとしたら、いつ・何をするかという話になった。いくつか思い当たる時期があって一つに絞れないという子や、明確にここ!と決まっている子がいる中で、私は考えても思い当たる事柄を見つけることができなかった。

そこで初めて、私は後悔することが少ない、ということに気づいた。

後悔の多い人は少なからずいる。私の友人の中でも、口を開けば「あの時〜していれば」、「もし…だったら」を連発するような人間がいる。これまでの人生の選択が、全て正しかったと胸を張れるわけでもないのが、選ばなかった過去に未練を感じることもあまりない。

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何故、私は過去に肯定的なのか。その理由について考えたい。現時点で考えられる要因は3つ。

1つは、これまでの人生で選択をしなければならない時、常に正しい選択をしてきたという自信がある場合。選んできた過去が全てベストであったという確信があるか…と言われると、そうではないので、これではない。

2つ目は、「覆水盆に返らず」の体現というか、過ぎてしまったことは、もうどうにもならないと割り切っている場合。別に後悔したところで、過去に戻ってやり直せるわけでもないし…と諦めているのか。しかし、もし戻れたとしてもやり直したいことはないのでこれも違う。

最後に考えられるものは、これが1番有力なのだが、「とっさに肯定的に考えてしまう癖」があるということ。以前心理学を学んでいる友人にちらっと聞いたので名前などは覚えていないのだが…。

例えばカメラを新しく買った翌週に、同じ機種から最新のカメラが出たとしよう。この場合人間の思考は2つに分かれるのだという。

1つは「最新のカメラには〇〇がついていない」「最新のカメラの方が高い」「後に出たからと言ってスペックがいいとは限らない」等と、選ばなかった物を否定することで自分の選択を良しとする考え。

もう1つは、「あの時決断したときには選んだカメラがベストであった」「スペックは劣るかもしれないが、色やデザインが気に入っている」と、手に入れたカメラの良い部分を見つけ、肯定することで選択を認める考え。

どちらも自分の選択を肯定しているように見えるが、これはもはや癖のようなもので、不意に差し出されたものに対して、人々はとっさの判断に否定が肯定か、どちらかが先に来るようになっているらしい。

これには思い当たる節がある。私は勧められたものもとりあえずやってみようと思えたり、人の話も信じやすい。騙されやすい典型だ。

だからこそ、否定的に捉える人が悪いとは必ずしも言い切れない。まず、疑ってみることで正しい判断につながることもあるだろうと思うからだ。
また、人間には自己防衛本能としてはこちらの方が自然だということも聞く。イソップ童話『酸っぱいぶどう』に出てくる狐のように、手に届かないぶどうを「すっぱいに違いない」と思わずには、気持ちを消化できないこともあるからだ。

何事も、どちらがいいということはない。

しかし、これなら「なぜ後悔が少ないのか」という問いに対しては納得ができるな、と思った。ただ他の可能性も探る必要があると考えている。

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肯定が先だからといって、特にポジティブ信者というわけではない。どちらかと言えばネガティブ思考だと思っている。

しかし、それでも現状に満足できているというのは、実はなにも考えていないから…という訳ではないと信じたい。

否定と肯定、あなたはどちらが先ですか?

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。