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漠然とした敵には、言葉を。

私は、パンジーが嫌いだった。

家の花壇に、母がパンジーを植えるたびに、早くほかの花にならないかな、と鬱々とした。

理由は、お髭のおじさんに見えていたから。今思えばくだらない理由なのだが、未就学時の私にはとても怖いものに見えていたのである。

今見てみると、随分愛嬌のあるおじさんだなと思える。どうしてこんなものが怖かったのかと。

・+・

パンジーへの恐怖心を、取り払ってくれたのは母だった。

パンジーが怖いと涙目の私に、父は「どうしてこんなものが怖いんだ。」と一喝した。「花が襲ってくるわけでもありゃせんのに。むしろ大きさを考えたら、パンジーの方がお前を怖いと思うで。あほちゃうか。」と。

そうやって、パンジーが怖くないものである理由と根拠を散々聞かされたが、恐怖心がなくなることはなかった。

一方、姉は一生懸命に私の気を紛らわそうと、他に目を向けるように促した。
「ほら、見てごらん!他のお花は可愛いよ。お母さんも大好きなポーチュラカも咲いてるよ。あ、かわいい蝶々もきたよ!」と。しかし、恐怖というのはなによりも最優先される感情であり、そんなことを言われてもパンジーが嫌いであるには違いなかった。

もっとも、どんな虫でも手で掴める私が、唯一嫌いな昆虫が蝶々であることを知ってか知らずか、さらなる恐怖へと誘うところが姉らしい。良かれと思って墓穴を掘る姉の性分は、今も変わらない。

そして皆が必死に私にフォローをしている傍ら、私を指を指して笑い、馬鹿にし続ける兄。そのことで父にまた叱られるというところも、もはや安定の流れである。

しかし、母はそれらのどれとも違った。
なにが怖いのか、全部教えてほしいと。言葉にしてごらんと話を聞いてくれた。

顔に見えると言ったら、どこが目でどこが鼻や口なのか。髭がふさふさなおじさんみたいで怖いと言ったら1輪ずつどの髭面が1番怖く見えるのか。

そもそも、何故おじさんは怖いのか。パンジーおじさんと、それそっくりな普通のおじさんはどっちが怖いか。

そうやってひたすらに話を聞く…というより、聞き出して言葉にさせるということに終始した。

私が答える間の母は、ずっとうなずいたり微笑んだり。最終的には、私の話を踏まえた上でどのパンジーが1番怖いか選手権を勝手に行い、ランクづけをするなどして私より楽しんでいた。

笑い飛ばしてくれた母の気性はもちろんだが、言葉にしてみると実にアホらしいことで怖がっていたことに気づき、怖さは半減したように思えた。客観的に冷静な目で対象を捉えることができたからだと、今になって気がついた。

なんとなく嫌だ。
よく分からないけど怖い。

そういう漠然とした敵には、言語化することが最大の武器なのではないかと思う。

・+・

言語化することで、感情がひっくり返る。

だから、嫌悪や恐怖にはうってつけだとは思うが、言語化が最強だと信じて、「なんとなく好き」を明確化することは危険だ。案外大して好きじゃないことに気づいてしまうことだってある。

それが良いのか悪いのかは人それぞれなので、用法・用量にお気をつけを。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。