見出し画像

まだ見えていないものが見たい

毎日いろんな方のnoteを読んでいる。

その中で、ただスキをつけるだけでは気持ちがおさまらないほど、いいなぁ、素敵だな、と思う記事に出会うことがある。ちょうど昨日も、フォローしている人の記事でグッとくる記事があった。

私がそう感じる記事の特徴はなんだろうか。

それらは、決して奇をてらったわけでも、私にない経験をしてるわけでもない。

いや、私に無い思考や経験をしてるものの記事も、もちろん素晴らしいし、私にとっては新しい刺激であり、知見であり、視座であることは間違いない。

けれど、私や誰もが経験していたり、感じたしたことがありそうなことを、無意識の中から掬い上げ、言語化できる人のnoteがたまらなく好きだと思った。

単純に言えば共感なのだが、私ができなかったことへの尊敬の意味もあれば、書くことができなかった悔しさも混じっているかも知れない。

・・・

詩人の長田弘さんが好きだ。

詩だけでなく、彼の書くエッセイを読むことがあるのだが、その中で「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」と言っていたのを思い出した。

なるほど。

この言葉から考えれば、詩的要素がつまったnoteが好きなんだと思った。

詩といっても、飾った言葉や美しすぎる表現を使えばいいというものではない。

誰もが見えているはずの色や、聞こえているはずの音、感じているはずの気持ちを言葉にするだけでいい。

私もそんな記事が書けたらな…と。

・・・

そのために必要なことはなんだろうか。

やはり感性を磨き、アンテナを張り続け、本や文章をなるべく多く読み、思考を巡らせる時間をたくさんもつことだろうか。

私には見えていなくて、誰かには見えている。

その違いはどこにあるのだろう。

もっといろんなものが見たい。
そして、それを言葉にできる力が欲しい。

知識とかだけじゃないと思うのです。

とりあえず…どんなことでも毎日noteを書き続けることが、その糧になると信じて。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。