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大切なのは感情か、感覚か

「得手不得手の勘違い」の話を聞いた。

得意な分野は、難しさを理解出来るからこそ苦手であると感じてしまい、苦手な分野は簡単なことだけで満足してしまい、本質が見えないから得意と感じてしまうことがあるんだと。

人の感情や感覚というのは、脳が判断するものだが、時として「勘違い」という誤作動を起こす。そう考えた時、感情や感覚はとても曖昧なものだと思った。

そして、そもそも感情と感覚ってなんだろうと考えていた。

××

例えば、心揺さぶられる小説を読んだとする。感動してスキだと思ったとき、それは感情か感覚なのか。小説に限らず、物でも人でも、「好き」と感じる根拠はどこにあるのだろうか。

感情と感覚。
なんとなくのイメージとして感情は心で、感覚は身体で感じ取るもの。そして「好き」というのは紛れもなく感情。

…そんな風に考えていたのだが、このイメージは「心の場所」を考えてみると、本当かと疑わしくなった。

心はどこにあるか。
子どもたちに心の場所を指さしてと言うと、ほとんどの子どもが胸を指し示す。大人でもそうする人が少なくないはずだ。

「心」という漢字の成り立ちは心臓の形をかたどったものとされている。また、心はハート。ハートマークもまた、心臓を模したものである。

ただ、実際には頭の中にある。頭の中にある脳があらゆる判断を下し、神経回路を通じて心臓へ信号を送り、心が胸の中にあるのだと、また「勘違い」を…と、続けたかったのだが、あいにく私は心理学も脳科学も詳しくないので、正直結論が出そうにない。

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曖昧なことは避けて、今の私が思うのは、感情は絶対的で、感覚は相対的だと感じることである。

例えば反対の感情を同時に抱いたとき。「好きだけど不得意」とか「得意だけど好きじゃない」とか。

好きや嫌いというのは感情で、数値化できず、でも絶対的。一方、得意とか不得意という感覚は、他の何かと比べている相対的なものではないかと。

私は感覚というものを、とても不安定なものだと感じていた。しかし、こう考えると感情の方が不安定で根拠がなく覆りやすい。そして、実は感覚の方が明確で信頼できるものなのかもしれない。

どっちの好きが嬉しいかしら。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。