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私に読書が必要な理由

好奇心というものは、ただ持てばいいというものではない。何でもかんでも興味を持って、あれもこれも…と手を出すことが、必ずしも人生において有益であるとは言い難い。

どちらかというと、私は首を突っ込みやすいタイプで、とりあえず手を着けてみるタイプだ。もちろんすべてが無駄になるわけではなく、点と点が思わぬところで線になる経験も多いから、いろんなことに興味をもって経験することを無意味だとも思っていない。

しかし、何かを追求していきたいと思うならば、選択肢を絞ることも必要であるように思う。私にはその判断力に欠けているのではないかと感じている。

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センスの良い好奇心が必要だと、作家の瀬名秀明氏が言っていた。

度々耳にする言葉だが、センスって一体なんだろう。正直なんとなくのニュアンスで使っているけれど、「センスがいい」と言われれば嬉しいし、「センスがない」と言われれば悲しいくなるものだ。得体のしれないものだというのに。

調べてみたらハッキリするだろうと思った。

しかし、ラテン語の「sentīre(センティーレ)=感じる」が語源となっているということだけは分かったが、意味は「物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。」らしい。なんとも抽象的で曖昧だな、と。

以前読んだ本では「センスは経験値だ」や「良い選択の連続で養われる」と書かれていたのを見たが、あまりピンとこなかった。

しかし、瀬名氏曰く「センスの良さとは科学・芸術・哲学のバランスがとれていること」と。いずれかの分野に偏りすぎていてもいけないし、それぞれの視点から多角的に物事を見つめることで、センスの良い好奇心を育むことができるのだと言った。

これに関しては納得が出来る。
そして、薬学で博士号をもつ研究者でありながら、『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞し、押井守の大ファンで、好きな作品は機動警察パトレイバーという、瀬名氏らしい考え方だと思う。

以前の記事で、科学(理科)と芸術(美術)は表裏の関係であるということと、レオナルド・ダ・ヴィンチが「科学技術と文化芸術の融合」こそが平凡から脱することを書いたのだが、哲学が必要と言われれば確かにその通りだと思う。また、私のプロフィールにも書いているが、創作をする以上は「創作哲学」が必要だと思っている。まだ、確立できそうにないが。

科学と芸術と哲学を線で結び三角形にしたとき、私はどこに位置するのだろうか。

科学的な視点はほとんどない。芸術はそこそこ。哲学もまだまだ。なんともバランスの悪い位置にいる。だからこそ、三角形のど真ん中を目指す必要があるんだろうな、と思った。

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視点を持っていないということは、即ち知識がないということだと思う。そして、生きていく中で科学と芸術と哲学すべての知見を深め、体験を通して学ぶということは難易度が高い。

読書というのは、他人である作者の見聞や思考の追体験ができる。多重人格でないかぎり、私は私の経験からしか判断が出来ない。

だから読書をするのだと思いました。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。