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歴史から学び得るもの

学生時代にお世話になった公衆衛生を研究している先生が、今世間を賑わせているウイルスについて述べるとともに、"この過剰反応を見たら、ナイチンゲールは「歴史から何も学んでいない」と言うに違いない"と言っている。船に閉じ込めれば感染が広がることは180年以上前のナイチンゲールにも分かっていたことだ、と。

ナイチンゲールは、クリミア戦争で負傷兵が「感染症」で死んでいく姿を見て兵舎の窓を開け、空気を入れ換えることで多くの命を救った。この方法が疫学的で実際に多くの負傷兵を救ったことから、彼女を看護婦でなく疫学者と呼ぶ人がいる。疫学の科学的なエビデンスとなった。また、このときの報告を図やグラフで説明したことから、統計学者とも言われるらしい。

今回の件に限らず、学生時代にあれほどまでに歴史を勉強させるくせに、歴史から学んでいないと憤慨する人をよくみる。

私は歴史も苦手だったし、世界情勢のセンシティブで難しいことをここで述べるつもりはない。しかし、「人が歴史から学ばない」のは、失敗から学ぶことはあっても、成功を科学しないことが原因なのではないかと思った。

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人々は、失敗の原因は追求するけれど、成功の理由には無関心のように見える。いや、関心はあれど、その理由は成功した側のの言い分を鵜呑みにしているように思う。

失敗の原因を突き止めることは大切だ。仕事でも最初の失敗は仕方ないとしても、同じ失敗を繰り返せば信頼を失いかねない。

ただ失敗の理由を学ぶことが、成功へ直接つながるかというと、それもまた違う気がする。つまり失敗の理由を裏返すことは「失敗をしない」ための策であり、「成功する」ための策ではないということ。

以前、何かの番組で歴史上の敗者には必ず共通する敗因があると言っていた。その共通点は「情報不足」「慢心」「思い込み」とのこと。

しかし、成功者というのはそれらをクリアするだけで成功したわけではない。また、成功者には必勝法のような共通点もないとのこと。結局は運や実力等、様々な要因が成功につながっているらしい。

なるほど、人は成功を科学しないのは、無関心だからではない。再現性の高い勝因を知る術はなく、結局運と実力だからなのか。

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「我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ。」と、誰かが言った。

私は、まずそのことだけ心に刻んでおこうと思う。

何故なら、私は私の物語を思い描いたように進めたこと等、1度もないから。うまくいったときは偶然だったり、運がよかったり、思いがけないラッキーが降ってきたり。

とりあえず、負けない努力だけ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。