恐怖や不安は見えないもの
いよいよ、コロナウイルスが対岸の火事ではなくなってきた実感がある。
昨日、電車内でマスクをせず、一度だけ咳をした男性がいた。その瞬間、周りの人々はまるで犯罪者を見るような目で、ジロリとその男性に視線を向けていた。
睨みつつも、怯えるように。
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怖がる理由は見えないからこそ、ということなんだと思う。実態はあるはずなのに、どこにいるのかは分からない恐怖感とか不安とか。
お化けや幽霊の類が、しっかりと目に見えたら少しは恐怖感は薄れる気がする。対処の仕様がなかったり、予測ができないからこそ、人は怯えるのだと思う。
仕事をする上でもそうだ。
目的とかプロセス・スケジュール・優先度等、なんでも可視化させることで不安要素を取り除こうとするものだ。
恋愛だってそう。
恋人に溺れて、生活を脅かすほどの不安に襲われるような人々は、きっと盲目になり、頭の中だけで妄想を広げるから。
「お化けなんかより人間が1番怖い」というのも、実態は見えているのに心や思考は手にとるように見ることはできないから。予測できない他人が怖いということなのだろう。
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基本的に冬場は毎年マスクをしている私は、職場で「マスクまだある?」と声を変えられるようになった。
塾講師をしていた時は、もちろんインフルエンザ予防のためだったが、元々はウイルス対策というより、乾燥していると喘息が出るので保湿のためだ。
しかし、中にはドヤ顔で「マスクは予防のためにするんじゃない。外にウイルスを撒き散らさないよう、感染している人がつけるものなんだ。」と言いながらくしゃみをしながら話す人がいる。
たしかに、感染症を周囲の人に広げることを防ぐ意味でのマスクの役割が大きい。小学生の頃、ガーゼ生地の布マスクを付けている子と言えば風邪をひいている子で、予防のためにつけている子なんていなかった。
また、マスクをしたところで防ぎきれるものでもない。そんなことを分かっているが、じゃあくしゃみをしている時点で、マスクをつけて欲しいな、と。
そういう人がいるから、マスクをつけているのですよ。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。