谷川俊太郎の「生きる」

以前、一度このnoteでも書いたことがあるのですが、谷川俊太郎さんが私はとてもとても大好きです。小学生の教科書で初めて読んだ「生きる」という詩が、いつまでも忘れられなくて、ある日思い出して読み返したのがきっかけでした。

この詩はとってもシンプルで、どういう時に生きているということを感じるのかや、何が生きるということなのかが書かれていて、国語の授業でも「あなただったらどんな一節を入れるかな?」なんて話をしたような気がします。

私がずっと引っかかって忘れられない一節が

木漏れ日がまぶしいということ
(「生きる」谷川俊太郎より抜粋)

とても冒頭の言葉ですが、ずっと引っかかっていました。私はその頃、「木漏れ日とはなんなのか」知らない子供だったからでした。私がその頃生きていた世界はコンクリートに囲まれていて、教室は木目調だけど全て作り物で、土も木もきっと人口で、アスファルトの上をいつも歩いているような生活をしていた。木漏れ日とはなんだろう、と思っていたのです。

教科書上では「こもれび」とひらがなで書かれていたのも覚えています。
そのひらがなからもなんのことかを想像することができませんでした。それでも、想像上では、きのみのような、暖かな何かひだまりを、この一節から感じていました。
 「木漏れ日が眩しいってどういう気持ちなのだろう。なんだかあたたかで柔らかくてとっても素敵な気持ちな気がする。」
そう考えながら、コンクリートに囲まれた教室の中、頬杖をついて窓の外を見たのを覚えています。青い空と、暖かい太陽が、コンクリートをジリジリと照らしていた、あの風景を、私はあの時期何回繰り返して見たのだろう、と。

その頃、私が住んでいた中国はちょうど反日デモが起こっていた頃でもあって、「日本人」ということだけで危険でした。一人では絶対に街を歩けなかったし、母親がネイティブな中国語をしゃべれたので、無口な子供を演じて、中国人と偽ることだって私は日常でした。聞き取りはできるから、何か問われても笑いながら相槌を打てば本当に気がつかれなかった。柵の外を一歩出れば、全てが敵に見えていた日々でした。いつも、「生きる」ってどんなことなのか、「私」とはなんなのか、小学生ながらに考え続けていました。

柵に囲まれて、知らない大人たちにジロジロ見られる中、知っている大人たちに守られながら、息苦しさを感じながらも育っていた時、本当に親には申し訳ないけれども、「まるで死んでいるようだ」と思っていたこともありました。どこにも自由はなくて、周りの人全てに気を使わないといけなくて、親は私よりも兄弟を見ている気がしていて、友人たちにも愛されている気が全くしていなくて、全て虚像のように見えていたあの頃。
私はヨハン・シュトラウスも、ピカソも、アルプスも、知りませんでした。ベートーヴェンと、モネと、黄河は知っていたかもしれないけれど。美しいものを「美しい」と知らなかったと思います。
でもそれが「美しい」と知らなくても、とても心が揺れるその瞬間が好きでした。今ではそれを「美しい」と呼ぶのだと知っています。そして、その「美しい」と思う瞬間に、生きているのだと強く感じ、命を感じ、感動していたのだということ。
初めてヨハン・シュトラウスのワルツを聞いて心が躍った瞬間も、ピカソを見て「なんだろうこれは」と衝撃を受けた瞬間も、アルプスを見て「なんという場所だろう」と思いを馳せた瞬間も、今思えば、私は何も知らずに生き続けてきたのです。

中学生の頃、私は再びこの詩を思い出しました。印象的なフレーズを思い出したのです。そのころに通っていた国際校の土地は広大で、また人口だったけれども、芝生や多くの木に囲まれていました。よく私たちは芝生の上を寝転がったり駆け回ったりしていました。ぽかぽかと陽気な太陽に照らされて、違う国籍の子達と心を通わせていく時間。知らない言語を勉強しながら、絵画や音楽や歴史や・・様々なものを学ぶ日々。
なんであの時、この詩を思い出したのか覚えていないですが、もう一度読んだ時に、なんて素敵な詩なんだろうと心を打たれたことを覚えています。

木漏れ日の眩しさを知った私は、暗い部屋の中で木漏れ日の眩しさを思い出しました。


あれからたくさんの時がすぎて、谷川俊太郎さんの本を買うようになったり、インタビューを読むようになって。時はどんどん進み、もう私も随分と大人になり、谷川俊太郎さんも88歳という歳を迎えています。私が生まれるずっとずっと前から詩を書き続けて、生き続けている谷川俊太郎さんのひとつひとつの言葉が、私にはとても大事なもので、栄養剤のように感じています。
今でも「生きる」を読むと、木漏れ日の眩しさと頬を撫でる風、太陽や土の匂い、心から愛している友人たちの笑顔、自分が受け入れられない世界への理不尽さ、やるせなさ、生きる意味を問い続けていた苦しい日々を思い出します。全てが、今でも私の「生きる」ということです。



本当に心から信じているひとなので、いつまでもずっとお元気であの素敵な笑顔でいてほしいです。お手紙を送る場所がわからず、これを私からの一通目のラブレターとします。

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