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学校は「次の社会」を生み出していく場所じゃないのかな?:学校と「小さな経済圏」の親和性②

前回の記事では、「教育×クリプトークンエコノミー」というテーマを考えていくにあたって、そもそも、教育とは何か?ということ、特に、教育をおこなう場所である学校とはいったいどういった場所なのか?ということについて、少し考えてみました。

ここでは、一般によく言われるような、学校とは「社会の変化に合わせて教育をおこなう場所」であるというイメージとは正反対の視点から、教育や学校の役割を捉える動きについて取り上げてみました。

今回は、こうした話の流れを踏まえて、教育や学校が「今の社会」から少し距離を置くことが必要だという視点がなぜ大切だと考えるのかというところから、学校の役割ということについて少し考えてみたいと思います。

この話が一区切りつくと、ようやく「教育×クリプトークンエコノミー」という話を始めることができそうですので、もう少しお付き合いいただければ嬉しいです。

(ちなみに、「クリプトークンエコノミー(Cryptoken Economy)」という言葉を当たり前のように使っていますが、これはハッカー&ラッパーの億ラビットくんさんが生み出した言葉です。詳細は以下の記事をご覧ください)

僕が専門としている「教育学」という学問は、「教育」の「学」ですから、「教育」というものが成立してから生み出された、ひとつの学問体系です。

(この学問体系のことを一般に「ディシプリン(discipline)」といいます)

では、「教育」というのはいつから生まれ、「教育学」という学問はいつから成立したのでしょうか?

たとえば、僕が担当している「教育原理」という大学の授業では、歴史を追って教育に関する思想について説明をしていきます。

そこでまず取り上げるのは、古代ギリシアソクラテス、プラトン、アリストテレスといった人々の思想です。

もう、今から2500年以上前の話から「教育学」の話を始めるんですね。

特に、ソクラテスの「無知の知」や「問答法」といったような考え方や実践は、教育の原型になるものとして必ず授業で取り上げます。

ですが、こうした人々は「教育学者」というよりも「哲学者」として著名な人々です。

ですので、僕が話をする内容も、「教育学」の話をするというよりは「哲学」の話をするという感じになっています。

また、中世ヨーロッパにおける教育思想について説明をするときに取り上げるのはコメニウスという人物です。

彼も「教育学者」といえなくもありませんが、「哲学者」であり「神学者」でもありました。

ということは、もちろん、コメニウスの思想について話をするときにも、「哲学」や「神学・宗教学」の知見にのっとった話が中心になります。

このように、現在の視点からは「教育学」の話をするときに、古代や中世といった「近代以前」の時代の思想に必ず触れるわけですが、そこで話をすることは「哲学」や「宗教学」の話であり、厳密に言うと「教育学」の話をするわけではありません。

なぜ、このようなことが起こるかというと、「教育学」という学問は近代以降に、「哲学」や「神学・宗教学」といった学問から分離することによって確立したからです。

つまり、近代より前の時代には、「教育学」という学問は厳密には存在しなかったということになります。

さらに、このことは、「教育学」が学問の対象としている「教育」もまた、実は近代以降に成立したということを意味します。

…というより、教育学が対象としているのは、近代以降に成立した「教育」=近代教育であって、教育学という学問のディシプリンは「近代教育」の成立によって確立していったといわれています。

少し前置きが長くなりましたが、はじめに書きましたように、「教育学」という学問が「教育」の「学」だというときにイメージしている「教育」とは、おもに「近代教育」のことを指している、ということになります。

では、教育学が学問対象としている「近代教育」とは何でしょうか?

それは、あらゆる人にひとしく教育を与えるということを制度として保障するようなシステムのことを指します。

たとえば、日本で初めて「近代教育」の理念について公に示された文書だと言われている、明治政府が1872年(明治5年)に出した「学制序文(学事奨励に関する被仰出書)」という文書があります。

ここには、以下のような文章が書かれています。

自今以後一般ノ人民(華士族卒農工商及婦女子)必ス邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス

こうした考え方のことを「国民皆学」と言いますが、身分や性別にかかわらず、これからの時代(明治時代以降)にはあらゆる人々が教育を受けられるような制度を実施していくんだという方針が、ここから見て取れます。

ここには、江戸時代までおこなわれていた教育のありかたとはまったく違う考え方が示されているんですね。

江戸時代にも当然、「教育」はいろんなところでおこなわれていたわけですが、基本的にその教育のありようは、身分や性別によって異なっていました

たとえば教育を受ける場所も、武士は昌平坂学問所や藩校、庶民は寺子屋といった形で分かれていましたし、商人や職人の子どもたちは丁稚奉公や弟子入り修行などという形で「教育」を受けていたといわれています。

また、そもそも、寺子屋の「教育」などは、制度的に全国一律でおこなわれていたわけではなく、それぞれの地域の必要に応じて、それぞれにおこなわれていました。

明治以降の「近代教育」は、そのような江戸時代までの状況を転換させるように、あらゆる人々を、「学校」という同じ場所に集め、同じ内容を教えるという体制を、制度として保障し実現していこうとするものでした。

それではなぜ、近代教育、とりわけ日本の近代教育は、江戸時代までの教育のありかたを一変させるような方針を取ることになったのでしょうか?

それは、「日本」という「国家」を作り、それを支える「日本人」という「国民」を生み出す必要が生じていたからです。

それまでの社会システムを、「国家」・「国民」というものを生み出す方向に転換していくような動きのことを「近代化」といいます。

いわゆる「黒船来航」に象徴されるような欧米諸国の「脅威」が迫るなかで生じた、こうした日本の「近代化」の動きが、教育のありかたも一変させたといえます。

というより、明治期に始まる日本の「近代化」を果たすために、「近代教育」は生み出されたといったほうが正確かもしれません。

つまり、日本の「近代教育」は、身分や性別を超えたあらゆる人々をすべて「国民」と位置づけ、「学校」という同じ場所で、「国民」として「国家」を支えていくために必要な内容を教えるという形で、それを制度として保障し実現していく形で始まったものだということができます。

「教育学」という学問も含めて、今のわたしたちが「教育」というものを考えるうえで欠かすことのできない「近代教育」の意味を、このような形で確認することができてようやく、「学校」とはどういう場所なのか?ということについて話を進めることができます。

それは、「近代教育」の始まりのなかで「学校」とは、「国家」や「国民」の創出という役割を果たすための場所として制度的に位置づけられていたということです。

近代における「学校」という場所をこのように捉えたうえで、さらに考えたいのは、「学校」に与えられたこうした役割が、いったいどのような意味を持っているのかということです。

このことを考えるうえで注目しておきたいのは、日本が近代という時代に足を踏み入れた当初、日本には「国家」や「国民」というものが必ずしも存在していたわけではなかったという、一見すると当たり前にも思えるような事実です。

この時代に「国家」や「国民」というものがまだ存在していなかったからこそ、近代教育における学校は、この、まだ存在しない「国家」や「国民」を生み出す役割を担うことになったわけです。

つまり、学校はまだ社会的に存在していない、いわば「社会的ニーズ」というものが存在しない事柄について、それを生み出す役割を担うことになったということになります。

実は、こうした学校の役割は、近代以前、つまり江戸時代までの教育のありかたと鮮やかに対をなしています。

江戸時代までの教育は先に述べたように、基本的に身分に即した教育がおこなわれていました。

それは、言いかえれば、それぞれの身分で必要とされる知識や技術を伝承する機会として教育が位置づけられていたということを意味しています。

いわば、江戸時代までの教育は、それぞれの身分のなかで「ニーズ」があることに基づいて展開されていたということになります。

それに対して、近代以降の教育は、江戸時代までのそのような教育を一変させて、「ニーズ」がまだ存在しないことを学校を通じて生み出していこうとするものだということができます。

こうした意味で、学校とは「社会のニーズに合わせて教育をおこなう場所」であるという考え方は、どちらかというと「前近代」的な教育のありかたで、近代以降の学校はむしろ、そうした社会的なニーズからは距離を取りながら、「その先」を見据えた教育をおこなう場所として位置づけられているということができるように思います。

ここでようやく、「学校」という場所が「今の」社会ではなく、「次の」社会を生み出していく場所なのではないか、というところに話をつなげていくことができます。

学校が本来、このような場所であると位置づけることによってはじめて、「クリプトークンエコノミー」という未知の社会のありかたに「教育」や「学校」が果たすべき役割の大きさをイメージすることができるのではないかなと思います。

では、具体的に学校はどのような形で「次の」社会を生み出していくのか?
教育は「クリプトークンエコノミー」の実現に向けて、どのような役割を果たすことができるのか?

次回は、以上のような役割のもとで、学校が実際に果たしうる機能について考えたうえで、「教育×クリプトークンエコノミー」という視点にもう少し近づいていきたいと思います。