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最低限度の荷物で、町へ出よう。

11月にしては暖かい陽気のある日、湘南の海に白んだ月が浮かんでいた。水平線と月の間には、淡くグラデーションしてゆく空があった。

たくさんの子どもたちが、みな一様に波と戯れていた。自分も同じくらいの年齢のときに、日が暮れるまで波と戯れていたことを思い出して、不思議な気持ちになった。



子どもたちをみていると、知らず知らずのうちに常識や偏見が増えていたことを痛感させられる。

シャベル一つで砂を掘ったり貝を集めたり、砂浜に絵を描いたり、長ズボンをたくし上げて裸足で海に飛び込んだり。誰に教えられなくても、海を遊び尽くしている。

自分もそうやって遊んでいたことを思い出しながら、いまはビール片手に波の音を聞いているだけで十分に楽しいと思えるようになってしまったことを、成長と喜ぶべきか悲しむべきか、少しだけ悩んでしまう。

いまの自分のことは、きらいではない。自分で自分の機嫌を取ることが上手になったし、喜びも悲しみも味わえるようになった。


ただ、波と戯れ砂で遊ぶ子どもたちをみて、
もっと素直に表現してもいいと、気づいた。


子どもたちは、常に全身全霊だ。楽しければずっと遊び、寂しければうつむき物静かになる。自分の気持ちを余すことなく全身で表現する彼ら彼女らの真摯さを、大人になったいま、改めて学びたいと思った。


人から影響を受けたり人に影響を与えたり出会ったり別れたりしながら、人は大人になっていく。ただその過程で、忘れてしまうこともある。

取り繕うのが上手なったり感情を一人でなんとかできるようになったり、社会的なスキルを身につけていく一方、自分というわがままな存在を表現することが億劫になる。時間を経るごとに、わがままな自分を忘れていく。

わがままを言わない間に、多くの荷物を背負う。期待や責任、過去の後悔や未来への希望、やりたいことややらなきゃいけないこと。数え出したら切りがないほど、多くの荷物を背負っている。


荷物の一つ一つには、善悪はない。荷物の背負い方で表現される個性もある。ただ社会も環境も背負う人自身も変化を続けているのだから、たまには荷物を点検した方がいい。

荷物を整理するには、一度すべてを棚卸さなければいけない。距離をとって全体を俯瞰してみなければ、バランスを整えられない。いまの自分に合ったバランスに整えるのがいい。

荷物を整理したくなるときは、新しい道がみえてきたときだ。異なる道のりを進むなら、荷物を改めるのは当然のことだ。

道を選び直し、人生を学び直し、生き直せる時間は、いつだって、いまが一番多い。思い立ったときに挑戦できるくらい、軽やかな方がいい。



本当に必要なものは、意外に少ない。いまの自分に欠かせない荷物を背負って、あなただけが埋められる白地図を片手に、新しい町へ続く道を歩き出せばいい。

振り返ると、いままで歩いた道がある。別れた人も通り過ぎた町も、そこに確かにある。進んだ先で挫けてしまったら、また道を引き返せばいい。取り返せない失敗など、滅多にない。

迷った分だけ、白地図にはたくさんのことが書き込まれる。迷わないことよりも、振り返ったときに思い出になる迷い方をする方が大切だ。スタートとゴールをまっすぐに結べる道なんて、そうそうないのだから。







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