見出し画像

目の前の不安をよくみると、大切なことを思い出す。

不安は人を急がせる。どんな人でも不安定な状態のままではいたくないから、早く不安を取り除きたいものだ。

お金が足りない。稼ごう。
頼れる人がいない。早くみつけたい。
職がない。どこかの会社に入りたい。

ただそんなにうまい話は転がっていないもので、素早く簡単にリスクなくすばらしい選択をできることはごくまれだ。焦った決断には、スピードと何かがトレードオフされている。

小さい不安なら目をつぶれるだろう。得られることの方が大きい間は耐えられるだろう。ただ耐える期間は長く続かない。

日銭は稼げるけど、先が見えない。
あの人の期待に応え続けなければ。
会社に入れたけど、ちょっと違和感が。

我慢した不安は自分の中でむくむくと成長して、いつか大きな恐怖の花を咲かせる。小さな不安に目を背け続けると、無視していた昔の自分に思わぬカウンターパンチをもらうだろう。

元気なときなら耐えれるダメージでも、弱っていると立ち直れなれない。そして大抵の場合、予想できないことが起きるのは、弱っているときだ。


いまの不安も、いま目をつむっている不安も、将来の恐怖の花にも、普段から丁寧にケアをしてあげてほしい。

不安でもいい。けど不安な自分をきらいにならないでほしい。泥臭くてもいい。輝いてみえる誰かと自分を比較しないでほしい。


さまざまな感情が入り混じっているくらいが自然なのに、不自然なくらい純粋なことに価値があるようにみえることがある。

やさしい人にも怒りはあるし、怒りっぽい人にもやさしい一面はある。不安なときにも希望はあるし、順調なときにも落とし穴がある。

不安なとき、功を焦らないでほしい。いまのあなたが心から納得できる選択をするまで。自らの可能性を閉ざさないでほしい。

いま目の前にある不安は、チャンスかもしれない。あなたの奥底のため込んでしまったモノからの最後の声かもしれない。

どうか目を背けず、ゆっくりとみつめてほしい。きっと大切なことが思い出されるはずだから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。