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#言葉
自分の機嫌は、自分で取りたい。
あぁ、ぼくには、きみを救えないんだね。
そう直感することが、まれにある。
もとから自分が誰かを救えるなんて思っていたわけではない。自分が無力な存在であると卑下していたわけでもない。ただ自分と相手の間で、何かが決定的に分かれてしまったような感覚が自分の中に残ることがある。
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人には、それぞれの正義がある。SNSを通して、自分に近い価値観の人と簡単に出会えることはすばらしいけど、その簡単さは
言葉を紡ぐときに零れ落ちるものを見たいから、言葉を紡ぐという矛盾
喉まで出かかったことを、しまう。
文章を書いた紙を、くしゃくしゃにする。
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言葉で表現できることはとても限定的だ。
日本語で書く以上、日本的な表現から抜け出ることができない。他の言語でも同じことが起こるだろう。
他人のnoteを読むときに意識することがある。
どんな想いで文字を綴っているのか。
その人の生き方がどんなものか。
一連のnoteの流れはどんなものか。
文章と文章の間、no
あなたに語ってほしいのは、呪いではなく、救いの言葉だ。
言葉や語り方は、その人の人柄を反映するものだと思っています。また人からもらう言葉や人に語る言葉には、救いと呪いの両側面があると、常々感じています。
「前向き」という言葉への違和感「ひらやまさんって、前向きですよね」
ということをよく言われます。
たしかによく笑うし楽しいことはすきで未来を信じているから、比較的前向きなのかもしれません。noteやTwitterでの発信や表現をみてもらうと、確か
片思いへの処方箋。想いと言葉と行動と。
中学生のころ、片思いしている女の子がいた。
すきだから、きらいになりそう。
楽しいから、苦しい。
うれしいから、こわい。
矛盾した感情をたくさん抱えていた。いま思えば「若いなぁ」と思えるから自分は成長しているのだと感じつつ「当時はどうにもできなかったなぁ」とも感じ、懐かしい気持ちになる。
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強い想いは、重い言葉になる強い共感や唐突な出来事があると、自分の中に想いが溢れる。想いは自分の意思