明石和也って何者??(訳:自己紹介します)
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明石和也って何者??(訳:自己紹介します)

 はじめまして!株式会社アスナロ新卒1年目の明石です!
まずは、貴重な時間を僕のNOTEに使って下さりありがとうございます^^
 今回、自己紹介NOTEを書く理由としては、『前提知識が無いまま絵画を見ても面白く無い』ように、『僕のバックグラウンドを知らないままTwitterを見ても面白く無い』のではないかとイタリア旅行を通して思い、筆を取ることにしました。

 僕の今まで生きてきた23年の証を広く浅く5000文字に凝縮しましたので最後までお目通し頂けると幸いです。恐らく5分程度で読める思うので、少しの間お付き合いいただければなと。それでは自己紹介初めていきます!レッツラGo!

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<パーソナルデータ>
・名前:明石和也(アカシカズヤ)
・生年月日:1997年6月23日(22歳)
・血液型:O型
・出身:大阪
・大学:関西大学 社会学部 心理学専攻
・趣味:旅行,写真撮影,読書,温泉,Twitter
・習い事:体操,水泳,英会話,ソフトボール
・性格:真面目,マイペース,気分屋,向上心高め,承認欲求も高め,お節介
・大切にしている価値観:直感,自他承認,自他善悪,イケているか,エモいか,ワクワクするか
・長所:素直さ,向上心,継続力,巻き込み力
・短所:ガラスのハート,スケジュール管理が下手
・好きなこと:銭湯や居酒屋で将来の夢やアホなことを友人と話すこと
・嫌いなこと:生産性のない時間(息抜きが下手クソです)
・興味のあること:ブランディング
・好きな食べ物:オムライス,二郎系ラーメン(野菜ちょいマシ/背脂マシマシ)
・嫌いな食べ物:セロリ
・好きな人:志や夢がある人,カリスマ性がある人,人を思い遣る心がある人
・苦手な人:フランクと慣れこさを履き違えてる人。自慢話ばかりする人。


明石和也の歴史

-幼少期編-

  僕は、両親が35歳の頃に生んだ子供で、双子の姉がいます。
好きなものはなんでも買ってもらえ、興味のある習い事はなんでもさせてもらえる"何不自由ない家庭環境"の中育ちました。
 幼少期の頃は、活発な少年で、暇さえあれば近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんとドッジボールやケイドロをして外で遊んだり、家の中でゲームをしていました。その中でも一際人望の厚いりょうくんに対し、僕は物凄い憧れを持っていました。りょうくんは"スポーツ万能"でヴィジュアルが"瀬戸康史似"のスーパーカリスマ人材で、僕が知らないことをなんでも知っていて、いつもワクワクさせてくれるかっこいい兄貴的存在でした。『りょうくんのようになりたい』、『りょうくんにもっと近づきたい』そのような思いが日に日に増していきました。 りょうくんが大好きだった僕は、鼻をすする仕草を真似たり、石を投げたりして車のガラスを割るなどのやんちゃを働いた時期もありました。(車の持ち主の方本当にごめんなさい)幼少期のりょうくんを初め、小中高大と僕は憧れの人の金魚のフンの様な人物でした。

-小学生編-

 小学生の頃は、謎に足は早かったので、徒競走は常に1番でした。周りは何かしらご褒美を貰えているのに僕は貰えず、世の中の理不尽さを感じたことをハッキリ覚えています。笑
 親が『寝る子は育つ』という教訓を大切にしていたので、毎日9時くらいには就寝していました。(現在もその名残からか睡眠時間は8時間です)。      学校生活では、クラスの中心的存在で、"うるさくて活発な奴"でした。 いかに先生にちょっかいを出して構って貰えるかバカなことをしてみんなを笑わせられるかがこの頃の僕の生き甲斐でした。まさに承認欲求の権化です。笑
 小学2年生からりょうくんがソフトボールをしていたのを理由に『僕もやりたい!』と思い始めることに。結果的に2年生〜6年生までの4年間続けることになりました。そこそこ実績は残して、大阪の大会で5大会中3回優勝するチームでピッチャーorライトで1番or4番打者を勤めました。ソフトボールを通して、礼儀/何かに取り組む際のマインドセット/人付き合いに関してなど人間としての基礎を身に着けることができたかなと今になって思います。  "明石和也の基盤を形成"したのがこのソフトボールと言っても過言ではありません。

-中学生編-

 中学生になり、僕の仲の良かった友達はみんなヤンキーになってしまいました。最初はヤンキーと連んでいて楽しかったのですが、根が真面目な僕は悲しむ親の顔が浮かんで、ヤンキーの友達と連むのは辞めました。
 中学1年生の時、一目惚れした女の子に告白し、3ヶ月だけ付き合って別れ、また新しい女の子と付き合っての取っ替え引っ替えを繰り返していたクズ野郎でした(俗にいう熱しやすく冷めやすいタイプ)。   この頃僕は恋愛に関して百戦錬磨だったので謎の自信が付いていて、『付き合えない女などいない』と思っていました(めちゃくちゃ有頂天野郎ですね)。クラスのメンバーにも恵まれ 、授業中に一発ギャグ大会が繰り広げられたりなど、1日1日が秒で過ぎていくそんな充実した学校生活を送っていました。
 2年生になり所謂厨二病を発症してしまいました。『先生に反抗している俺かっこいい』という謎の思考を持っていて、わざと腰パンをしたり、変に反抗したりしていました。中学も野球部に入っていたのですが、 僕の反抗的な態度が日本拳法有段者の顧問の先生の逆鱗に触れて、腹を思いっきり殴られたこともありました。
 そして、人生のターニングポイントになる"ビッグイベント"がこの後に起きました。調子に乗りすぎたせいか、ヤンキーに目をつけられ、毎日昼休みにスパーリング(顔面以外の殴り合いの喧嘩)をさせられました。この時から学校にいくのが億劫になり、人間不信になりそうにもなりました。担任の先生も気づいているのに気づいていないふりをしていたり、仲の良かった友人もだんだん離れていきました。『なんでこんな目に合わないといけないんだろう』と毎日悩みました。顔つきも変わってめちゃくちゃ弱々しくなっていました。
 今となっては『いい経験ができたなー』とは思っているものの、当時はめちゃくちゃ辛かったです。この経験を通してから、相手の視点に立って考える癖がつき、困っている人を助けたいと強く思うようになりました。なので現在もグループの中で楽しそうにしていない人を見かけると、声をかけてあげたり、積極的に道案内やアンケート調査に答えてあげたり、就活生に対してキャリア支援をしているのもこの原体験があったからなのかもしれません。中学3年生になり、ヤンキーともクラスが離れ、 幸いにも友人に恵まれ、充実した学校生活を送ることができました。中学生活は総じて"浮き沈みが激しいジェットコースターのような時間"でした。

-高校生編-
 

 中学時代にめちゃくちゃ勉強した甲斐があり、有難いことに第一志望の高校(偏差値60くらいの自称進学校)に合格することが出来ました。高校入学前からグループラインが作られており、そこで僕らの中学のメンバーが中心的存在になり、実質僕がリーダー的ポジションを陣取り、高校生活の勝利を確信しました。毎日ワクワクが止まりませんでした。
 

 高校からは『モテたい・坊主は嫌だ』を理由にサッカー部に入部することに。サッカー部の先輩として今ではすっかりTwitter界では有名人のゆうき君と同じでした。僕は、サッカー初心者だったので、毎日放課後の練習終わりに居残り練習をしたり、監督から付きっ切りで指導をしてもらったりして、無事に2年生の時からレギュラーで試合に出ることができました。

 勉学もぼちぼち頑張っていたので、3年間320人中30位くらいをうろうろしていました。謎に途中まで国公立を志望していたので、英国数理社全ての勉強をする羽目になっていました。(数学が致命的にできなかったので途中で断念しました)

 体育祭は応援団長として3学年総勢120人のリーダーを務めたり、   文化祭ではアカペラからダンス、劇の主人公などを務めるような、とにかく目立ちたがり屋な性格でした。

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                              -サッカー部の集合写真-

-大学生編-
 

 大学は,第一志望だった立命館がダメだったので、第二志望の関西大学に。
志望していた心理学が学べるし、活気があるイメージだったので『まぁ、楽しめるやろ』と。結果振り返ってみて、関西大学で良かったなと思っています。
 大学時代(1〜2年生)は、THE大学生でしたね。(酒・女・ギャンブル)という最低ワードが立ち並ぶパリピ人材でした。(今とは真逆)お酒の楽しさを知り、毎日毎晩遊び呆けていて、家には寝るために帰るくらいの生活状況でした。
 3年生になり就活がぼんやりと視野に入ってきて、周りと差をつけたいと思い4月頃にスタートしました。6月〜8月頃になりインターンにちょくちょく行き始めます。この頃に初めてヒロさんに出会うことに。初めて会ったのは、就活イベントでした。ヒロさん登壇のセミナーで初めて会った時の第一印象は『この人イケてんなー』と。ヒロさんに関する情報も事前にキャッチしていたので、この人の話を無料で聞ける機会は滅多にないと、ワクワクしていました。このイベントが僕の価値観を"180度変えるキッカケ"になりました。『ブラック企業とは?』の話から『安定とは?』の話まで、わかりやすくかつ自分の言葉で話されていたので、凄く胸に響いて僕の今までの薄っぺらい価値観が一気に変換されたのを今でも鮮明に覚えています。今ままで僕の中にあった就活の常識がひっくり返された瞬間でした。
 その後、サマーインターンに数社参加して、就活に燃え尽きた僕は、その情熱を全て当時付き合っていた彼女に注いでいました。
 10月になり、友達に招待されたGDの練習会で周りとの差に気づかされ、焦りと共に就活を再開しました。最近少し有名になってきている某企業のセミナーにお金を払って受講することに。そこでは就活に対して非常に意識の高い学生が集まっていて、遊び友達とはまた違った面白さを持ち合わせる友達をたくさん作ることができました。
 そして、就活も12月になり本選考を受け始め、その頃某IT企業の説明会で僕の人生を変えた萌生と出会うことに。萌生の第一印象はただのチャラいやつで、説明会にピアスをつけてきていて、『俺、説明会くるの初めてなんだよね』と言っていたので『こいつ就活なめてんな、実力の差見せたるわ』と意気込んでGDに望んだのですが,この萌生という男がまあ凄い。就活生の域をとっくに超えていて、周りを圧倒するほどのハイスペックな学生でした。
 説明会終了後萌生から連絡先の交換を頼まれ、迷わず交換をすることに。
後日電話がかかってきて、『学生団体立ち上げようと思う、和也の力貸してくれへん?』と言われ、迷うことなくその場でオッケーしました。そんなこんなで就活しながら学生団体を運営することに。現在の意識高い明石和也が生まれたのはまさしくヒロさん・萌生・就活仲間のおかげだなと。
 
就活は本当に自分を成長させてくれたなと心から思っています。総じて大学生活は"遊びと学びが多く充実した時間"でした。

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                           -サークルの集合写真-

これから

 就職活動を通して、『おかしいな?』と思うことがたくさんありました。 例えば、学生が選考に受かるためだけに嘘偽りを話して内定をもらってしまうこと。企業説明会では会社の都合のいいことしか話さないこと。大学のキャリアセンターは大手企業の選考を勧め、僕が通っていたセミナーではベンチャーばかりを勧めてくる。などなど言い出すと、枚挙にいとまがありませんが、パッと思いつくだけでもこれだけあがります。そんな『就活の仕組みを変えたい』という思いと『皆が夢や志をもち生き生きとした社会』を作りたい。僕には、そんな夢があります。そんな思いを持ちながら就活生の皆さん人事の皆さんにとって"人生の想い出に残る温かいコト"を提供すべく、これからも日々"サプライズバリュー"を創出していく予定です。拙い文章ですが、最後までお目通しいただきありがとうございました!これからも明石和也を何卒よろしくお願いいたします!

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