見出し画像

只今ブサイク真っ盛り

「私はもうあかんけど、あんたはまだ若い!」
と、最近太ってきたとぼやく私に、母が言うけれど、あなたもまだまだあかんことないのです。

学生の頃、安藤忠雄さんが建築したお決まりのコンクリートの美術館で、荒木経惟さん…アラーキーの写真展を見に行ったことがある。型破りな独特の雰囲気を持つ二人が関わる空間は、意外なほど静かでジワジワと生を感じたことを覚えている。
安藤忠雄さんの建物は自然の光が入ると素敵だが、曇った日や雨の日は暗い。その日は少し曇っていたので相変わらず暗い建物だな…等とぼやいた。アラーキーの作品はエロチックで奇抜な印象が強かったが、その日の作品はモノクロで地味なものだった。全国から選ばれた女性100人の写真。0歳から100歳までの肩から上の顔が年の順番に並べられた写真展だった。
100人100枚すべて違う人のはずなのだが、並べられたそれは人の一生が見事に表現されていた。薄暗くわずかに淡い光が入る建物で見ていると、哀愁というのか…儚さを一層感じさせた。

この展覧会をことあるごとに何故か思い出す。
0歳。生まれたばかりの赤ん坊。未来しかない。少しづつ自我を覚えて個性が生まれる。何が気に入らないのか、常に不機嫌なお年頃。少女の頃は瑞々しくて幸せいっぱいなご様子だ。鉛筆が転がっても可笑しい年ごろね…とはよく言ったもの。そして少女が大人になっていく時、一番美しく輝く。この時が一番美しいと思ってた。確かに美しかった。
そこから大人になった女は色気を身にまとい、少しづつ人生には酸っぱいモノや苦いモノもあることを知っていく。自分を守るためにどんどん色んなもので盛っていく。美しさは作られたものへと変化していく。でもそれはそれで綺麗だった。そのうち老化が始まると、失われていくものを補充するように更に盛る。でも、もう盛ったところで無理が出てくる。独り身なら迷いの時。結婚していたとしても迷いの時。迷いやストレスでいっぱいの顔だ。それでも着飾ることでバランスを取ろうとする。そして悶々とした日々は続くのだ。今、自分はこのあたりだと思う。この時期の顔は美しくなかった。(モデルとなった人と言う意味では決してない…。)
「あ~。今はどうしたってブサイクな時。」
鏡を見るたび、そうやってやり過ごしている。
そして人生半分も過ぎ閉経も迎え、大きな荷物を下ろした途端、吹っ切れたような元気な表情が戻ってくる。まだまだイケると少しギラギラと活気づく。徐々に落ち着き、自分を受け入れて『らしさ』が生まれてくる。肩の力が抜けた自然体の美しさ。それは70歳とか80歳代だったと思う。ある意味、予想に反して美しかった。まだまだ元気で動き回れるし、私は私だという自信に満ちていた。そしてまた老化が進む。死が近づいてくる。何事にも動じない達観したような眼に変わる。
簡易とは言え、女性の一生がこれほどまでにアップダウンするのかと興味深く眺めた。女は18歳や20歳くらいが一番だとか、クリスマスまでに嫁に行けだの、女は40歳くらいがいいだのと、女を抱くことしか考えていない世の男は好き放題言うけれど、70歳代でもアップがあるんだぜ。まあそこまで行くと、女と言うよりは人としてだけれど。

母は今70歳代。写真展で美しいと感じたその年代だ。残念ながら、パーキンソンなので自信に満ち溢れた…ということはない。あの写真展で見た人生のアップダウンには当てはまらないのだ。だけど、健康ならまだまだ余力がある時だ。そう。まだまだ若い。せめて、薬の効いている時は美しくあれ。
病気が厄介なのは体だけじゃなく心も蝕むことだ。
もう一花も二花も咲かしてほしい。あなたはやっぱり美しいから。
そういう私はブサイク真っ盛り。
こういう時は自分磨きに限る。
誰にも言わずこっそりハイキングダイエットを始める!…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?