皆が「しあわせ」になる方法
平成最後の夏、ひょんなことから同居を始めたみくちゃんと、毎日いろいろな話をしている。
(こんな風に言ってくれるみくちゃんは超優しいが、私の人生はまるでイージーモードではない。笑)
ほぼ同世代ということもあり同じようなことを考えていたり、同じようなことで悩んでいたり、一方で全然考え方が違うときもある。
そんな私たちの会話の中で、いろいろなトピックがあるのだが、先日みくちゃんに言われたことで、面白いなと思う発見があった。
それは「佳代ちゃんは幸せにしてほしいと思ったことはないの」というみくちゃんからの問いだった。
この質問、逆に衝撃で私は「誰かが私を幸せにしてくれるのか」と問い直したいところだった。
そこで私が、いま私が持っている「しあわせ」とはなにか考えてみた。今日は私が考える「幸せ」について少しだけ深堀してみたいと思う
幸せとは
最近、幸せとか成功とか、ちょっとふわっとしたような言葉が流行っている気がする。
「お金を持ってる人」より「地位が高い人」より「幸せに生きている人」がうらやましいという世の中になっている気がする。
前者の方がわかりやすい。「@@を持っている」「@@を知っている」とか明確な基準がある。
でも「幸せに生きている」ってなんだ。定義がふわふわしている。
ふわふわしているなと思いネットで調べてみた。
幸せとは
1 運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。2 めぐり合わせ。運命。3 運がよくなること。うまい具合にいくこと。
と出てきて、つまり「運がいいやつ=幸せ」となるのだろうかと、さらにわからなくなった。笑
つまり幸せなんて、そんなふわふわしたものなのだ。
それはいいとして、私の中でこのふわふわした「幸せ」についての向き合い方がある。今日はその話だ。
幸せとは〜本編〜
まずその一つ目は「幸せであることに気づく」ということ日々心掛けている。
これはどういうことかというと、本当に何でもいいのだが、例えば毎朝起きて生きていることだけで素晴らしいと思うことだ。
これはどこかの自己啓発本にも書いてありそうだけど本当にその通りで、
今日も正常に私の心臓が休みなしに血流を流してくれているお影で私は生かされている。
中には今日命を落とす人もいる。余命がはっきりして生きている気がしない人もいる。毎日そんな人たちのことを想像する必要はないけど、毎日自分が置かれている状況に幸せを感じる事は大切だ。
私が何か悩んでいるといえば、その話を真剣に聞いてくれる友達がいる。
おなかがすいたと思ったら、ご飯も簡単に食べられる。
私の若さにポテンシャルを感じ、仕事をくれる人もいる。
コンビニのスイーツにスイカ味のものが登場したら、そろそろ夏がやってくるんだなと季節を感じる事ができる。
これもあれもすごく尊い。これ以上何があるというのだろう。
え、そんなこと?と思うことでも、とらえ方で幸せに感じる事ができる。方法はシンプルで「足らないことを指摘する」のではなく「あるものに感謝する」という方法だ。
これを「幸せに気付く」ということだと考える。
そしてこの「幸せであることに気付くこと」は,実はとても「簡単」にできる。自分の身の回りにあふれている環境に感謝する。その努力をすることだ。
幸せに気付くことが簡単だということはつまり「幸せとは簡単になれるもの」であること。
これが二つ目に大切な私の「幸せについて」の考え方だ。
幸せになることは実はすごく簡単だと私は思っている。周りの友達や家族に感謝したり、日々の小さな変化や、いまある環境に感謝することは、東京大学に入るより簡単だと思う。
簡単になれるということは、実はもう、みんな既に幸せ要素を持っているということ。
これに気付くことがすごく重要だ。
幸せは簡単になれる。自分で見つけさえすれば、一瞬で幸せになれる。
「自分で見つけさえすれば」
そう。幸せとは「自分が見つけること」だ。
これが、私が幸せについて持っている3つ目の考え方。そして今、世の中で最も重要と言われていることしれない。
結婚式でよく言うセリフ「僕はあなたを幸せにします」
女性歌手が歌っていた「幸せになりたい」「誰か私をしあわせにして」
これにはすごく違和感がある。私からすると、もう皆、すでに幸せなはずだからだ。皆の周りには、すてきなもので、溢れているのではないのかな。
世の中ではこんなにたくさん「幸せ」の種を簡単に手に入れられるのに、まったくそうじゃないはずがない。
そして、幸せは自分で探していかないと、見つからないのだ、よと。
さらに私が最近思うことは、自分が幸せになるということはイージーなのだから、早くみんな幸せになった方がいいということだ。
いつか幸せになりたいじゃなくて、今なるんだよ。
もう自分で、私は幸せなのだと自分の運命を決めるのだよ。
自分が満たされていると感じると、次は周りの人に何か還元したくなる。
そうするとなぜか、自分の周りにいいことが連鎖して起こる。そしてまた幸せを感じ、自分が満たされるから誰かに何かしてあげたくなる。
自分で幸せになることと、誰かを幸せにしてあげることは一見矛盾しているように見えるのだけど、いろんな人の幸せの形に触れることは、すごく尊く、それによる連鎖がさらに幸せを生んでくれる。
自分一人が幸せになることなんてとても簡単なのだから、そのフェーズは早く終えて、この連鎖に入った方が本当に面白い。
だから私はまず、自分が幸せになって、誰かに幸せを還元できる人でいたいと考えている。
これが私が持つ「しあわせに」対する持論だ。もちろん、これが正解ということではない。
「幸せであることに気づくこと」
「幸せとは簡単になれるもの」
「幸せは自分で見つけること」
この3つが私が考える「しあわせ」になる方法だ。
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