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カヤックLivingのビジョンと暮らしの選択の話

メンバーが増えてきて、カルチャーとナレッジ共有のため社内ブログ的なものがはじまりました。

そこで社内向けに書きはじめたものだったんだけど、外に公開してもいいかと思ったのでこちらにも転載することにしました。

カヤックLivingのビジョンは「暮らしをつくろう」。

コーポレートサイトから引用すると

暮らしをつくろう

自分の暮らしのオーナーは自分自身です。

暮らしはあたえられるものではなく、自分のものさしでつくるものであってほしいと思います。」

暮らしをつくろうというビジョンの背景

親会社のカヤックの「つくる人を増やす」という理念が、身内だからこういうのも憚られますが、私はとても好きです。企業としてのミッションとしてもやりがいを感じられるものであり、いまの時代に大事な事が表現されていると思っています。そして、私自身がカヤックにいた10年間で、つくる楽しさを知り、つくる人になっていました。

ゆえに、暮らし領域において、それを実現、拡げていくのがカヤックLivingということなのだとしたら、「暮らしをつくろう」というビジョンはあまり迷うことなく決めました。

その下に付与したメッセージは、すこし私の個人的な思いが入っています。

暮らしの主役は自分。暮らしを選択するということ。

誰しもが自分の暮らし、人生において、主役は自分自身であってほしい。そのすべての選択は自由であってほしい。誰に従属するものでもない。

そして、自分で選んだ、決めた、つくったことは、全部自分の責任となる。他責にすることなく、自責で進む人生の方がきっとハッピーだ、という価値観です。

この価値観は、私の2つの経験がベースになっています。

先日、都内のある駅に降りたって、思い出しました。

18歳のときに、目の前のレールを蹴って、別の道を選択したこと。

19歳のときに、自分の意志と価値観を置いて、望む道を選択しなかったこと。

それぞれ別の道を選んだ場合にどうなったかはわからないし、まあ考えても仕方がないことなんだけど、前者は自分でした選択だったから後悔はなかった。後者は自分で決めず、周囲の意見と環境を加味して決めたことで、今でもあのとき別の道を選んだらどうなったか?と考える事があります(先日も思った、20年もたっているのにです)。

そして女子大だったこともひとつ。私はフェミニストというわけではないけれど、女性であることで理不尽さを感じることは学生時代にも、社会に出た時にありました。やはり女性だから、という理由が選択できない背景になることがどうしても嫌で、何かあったときに、自分がちゃんと選択できる人でいつもあろう、と思うようになりました。そのために努力しようと思ったのもこの頃です。

これらの経験以降、自分の価値観とものさしで、判断して、道を決めていこうと、いざというときに決められるようスキルと経験を積もうと決めました。自分で決めたら、誰のせいにもできないんです。そもそも、その選択の価値観を磨くことも自体も自分の責任ですから。何かが違ったら選別眼を磨く努力が足りなかったわけです。

新しい何かが出現したときに「やりたい」と思ってるのにやらずに現状維持の道を進んだとき、その場合にはだいたい自分以外の何かのせいにしています。できない理由を並べるのは簡単だから。あと誰かに背中を押してもらうのは(時にはそれもありかもしれないけど)、やはり誰かのせいにするから辞めた方が良いです。

自分の暮らし(仕事含む)は自分で決める、それがいちばんハッピーに暮らせる方法。そう思っています。

私はおそらく、横道に逸れた人生を送っている人が、個人的に好きで、そういう人に会うとワクワクします。その話を聞いたり、その人の価値観に触れると楽しくなります。

人生の通ってきた道に、脱線や、余白、遠回りがある人は、そこで一度立ち止まって、自分の感覚や眼、ものさしで選択をしているからそうなっている事が多い。その人は、何かしらひとつオリジナルの選ぶルールを、もっている。

それがその人の魅力で、面白さになるんですよね。

みんなそれぞれが、自分のものさし、選択眼をもっていて、それに素直に従いがなら、進み続けられる人が集まる、そんな多様性のある組織になったら、いいと思っています。

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