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移住とコロナが手放していた子育てを、自分の手の中に戻してくれた。

毎日子どもたちが1日中家にいる。ずっと休校なのだから当たり前だ。

保育園も休園中だから、我が家には3歳と6歳の男の子が毎日いる。あと1ヶ月もすれば夏休みが始まるから8月末まで。3歳児が通う保育園には今週、退園の希望を出した。

1年前、私が鎌倉に住んでいた時、まさかこんな日が来るとは想像しただろうか。朝8時から18時まで子どもたちは保育園に通い、私は朝9時から17時まで仕事をしていた。平日は毎日だ。今思えば子どもたちの保育園休みは土日祝と年末年始と、時々の休暇のみ。よく働くサラリーマンみたいだ(笑)と時たま思っていた(それを見てくれていた先生たちには頭が上がらない、ありがとうございます)。

次男は生後2ヶ月から保育園に通い始めた。その甲斐あってか、みんなに育ててもらって、コミュニケーションスキルが極めて高い、たくましい子に育った。

気づけば、長男はスプーンの持ち方も、トイレトレーニングも、歌を歌う楽しみも、絵を書く楽しみも、ひらがなの読み方も(お友達の名前で覚えた)保育園の生活で友だちと一緒に学んできた。私の手の中からは、少しずつ、子どもを育てる、子どもと過ごす時間がこぼれるように落ちていき、アウトソースされていった。意識することなく、スルスルっと少しずつ少しずつ。それが普通になっていた。育児だけではない、暮らしだってそうだが、これは以前に書いたのでここを参照してほしい。


移住は、育児と暮らしを再構築する機会になった

ポートランドに移住をして1ヶ月後の9月には、長男はキンダーガーテンへ、次男は保育園に通い始めた。ただし、これまでの暮らしとは異なり、長男は14時で帰ってくる。次男は週に3回9時から16時までの短時間となった。これは私が自らした選択だ。次男を生後2ヶ月からずーっと預けていた私自身が、もう少し次男とは一緒にいる時間をつくりたいと思ったこともあって。

長男がお弁当になったことをきっかけに、まず子どもたちの食生活が私の手の中に戻ってきた。そして帰宅する14時から夜までの時間は長い。ここで何をして遊び、学ぶか、どんな刺激や出会いをつくるかの設計は親の手に戻ってきた。次男は週の半分以上が私と過ごす時間となった(これまでは週に2日だったから大きな変化だ)。まだまだ興味が広がる3歳児の可能性は無限大だ。長男とは好みが違うことを感じとっていた私は、彼を積極的に屋外へ連れ出すようになった。

移住で起こった変化は当時とても大きく感じた。暮らしと育児が移住で手の中に戻ってきて、再構築する機会を得た。

そう、当時は大きかったのだ。これだけでも。

が、ここから半年でまたもっと変わった。長い休校と外出自粛で、育児において手放していたものが、ほぼすべて手の中に戻ってきた。

コロナが私の手の中に戻してくれたもの

ポートランドの外出自粛期間の様相は日本とは少し異なる。事実とそれによって起こっている暮らしと育児の変化を箇条書きにしておく。

・レストラン・バーはテイクアウトを除き休業している(テイクアウトの店は多くはない)→衛生も考慮するとほぼ3食自炊。

・保育園はエッセンシャルな仕事に就く親以外は6月も休園 →8月いっぱいぐらいまで続くと見ている。

・小学校は今学期いっぱい休校 →夏休みが続くので8月いっぱいまで自宅学習。

・シッター学童的なものはオンライン以外はほぼやっていない。→シッターサービスで保育をアウトソースも不可能。原則は同居家族で見るもの。(中には利用している人もいなくはないと思うが、それもエッセンシャルワーカーだろう)

・DistanceLearningというオンライン学習により、毎日課題をオンラインでやる&週1〜2回のビデオチャット →小学校のプレの学年なんだけど、いきなり足し算とか始まるからほぼ隣にいてサポートしている。

学校は十分にサポートをしてくれている。先生たちも慣れない中で機器を揃え毎週課題を用意してくれて(それも私が見ていても楽しい課題)、25名を相手にしたビデオチャットもよく展開していると思う。とはいえ、やはり学習と育児の多くは、家庭に戻ってきた。

オンライン学習は良いところもある。隣で見ていると子どもの学習進捗が本当によくわかるのだ。苦手なことも、得意なことも。苦手なところは生活の中に組み込んでサポートしていくこともできるようになった。遊び半分で「お母さんドリル」を出題して遊んだりもする。絵本を読む中でも苦手そうなところは問いたり、繰り返し説明したりするようになった。学校に行っていたら学期ごとか、多くても1ヶ月に1回とかの先生のフィードバックで気づいてフォローアップしていたものを、毎日日常的に親がキャッチアップできる環境はとてもいい。もちろん、ちゃんと横で見ていることが条件になるのだが。

一方、オンライン学習のネガティブ面もある。国語や数学のような学科の知識は学べたとしても、生活と分類されているようなもの、情緒、集団生活で学ぶ知識とは違う部分は、いまはまだオンラインでは難しそうだと思う。情操教育というのだろうか。感情、暮らす力などは、家庭の中で学ぶ要素が今後増えていくと思っている。おそらく戦前には、家族の近くにあった学びだ。大家族の中で、あるいは集落の中で、親戚の中で、近所のコミュニティで育っていく中で、学んでいたような部分。その多くが学校教育へと移行し、とりわけ都市部では見事に家庭外へと出ていっていた近年、それがこのコロナとある暮らしでは、家庭に戻ってきたにすぎないのかもしれない。


一度は溢れる。そして元に戻すか、チャンスと捉え変えるか。

でもいったん手放してしまうと、それを取り戻し再構築するのは容易ではない。しかも急激に戻ってくると溢れてしまいそうになる。受け止めきれない。だってそれ以外の、親の働く部分(仕事)は変わっていなかったりするのだから(そっちはそっちで社会と企業が解決していく必要はあるが、ここでは置いておく)。

でも、私はチャンスだと思いたい。大事なものをちゃんと自分の手でつくり、育てること。アウトソースして流して消費していくのではなく、向き合って自分の価値観、育児なら子どものらしさと向き合って、その家庭、その親子らしい学びと育つ場をつくっていくこと。それは楽しみにもなるのではないか。子どもを持つこと、育てることの喜びは本来そこにあるはずだ。

私もまったくまだできていない。だけど、この暮らしに腹を括って、そう捉えようと思い、毎日を暮らしている。

長男はポートランドに来てから、絵を描く時間がとにかく増えた。両親ともに決して絵が上手でもなく、絵が好きでもないので、絵が好きな子の遊び方が理解できず時に戸惑うこともある(笑)。でも、学校がない(移動も少ないから)余白がたくさんあるこの期間に、そうやって過ごすのも、その時間を十分につくってあげることも、いいのだろうと思っている。本人はとにかく充実しているから。

かたや次男は、家の中で常に走っている。リビングから洗面所に行くのにもなぜか走っている。常に踊っている。それはそれで身体を動かす機会をどのようにしてつくるか。いろいろな動きをいかに教えてあげられるか、長男に接する時とは違う脳を使いながら遊んでいる。さっきからトランポリンとバスケットボールでずーっと遊んでいる。もちろんその隣で長男は色鉛筆を片手に何本も握り黙々と絵を描いているのだが。

ケーキを一緒につくったり、サボテンを育てたり。数日前には、いまの家は庭もベランダもないため、リビング菜園を始めてみた。マッシュルームとミニトマトとひまわりは子どもたちの係だ(私はハーブ)。果たして・・・発芽するのだろうか?

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(えほんの中に登場するアップルパイを焼いた)

家族でギター2つを取り合いして練習している。私も初心者なので、長男とはいい勝負だ。先にカッティングを覚えた長男が私に教えてくれた。

1年前まで平日の朝はとにかく忙しかった。保育園に送って本格スタートする。日中思う存分仕事をして大人としての社会的時間を楽しみ、夕方迎えに行って抱きしめ、夕方から夜にかけては育児ゴールデンタイムを過ごす。それもよかった。

いまは1日子どもたちが家にいて、仕事の隣に子どもがいて、時々、「お母さん、仕事したいのー!」と荒れた声を出すことがありつつも(笑)、いっしょに遊び、ごはんを食べて、掃除をして、花に水をやる。絵を描いている隣でこのnoteを書く。オンラインMTGをしていると一大事が起こったと呼び出される。

私はこんな暮らしもわりと気に入り始めている。

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