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「らしさ」と「好き」は余白に宿る

ポートランドに移住して2年とちょっと。コロナで1年半続いた家庭保育が終わって2ヶ月。やっと、平日の明るいおひさまがのぼっている時間帯に、3-4時間ではあるが、仕事に没頭したり、考えを巡らせたり、読書をしたりする時間を持つことができた。いつ以来だろうか。

朝から夜中まで仕事に没頭できる、1日中読書をして休日を過ごす。はたまた何もすることがない休日がある。これは20代の頃にはよくあることで、まったくありがたみを感じなかった。が、それがいかに特別な時間であるかは、30代になってライフステージが変わり、そして、私事の移住とパンデミックが重なったこの2年間は強く感じることとなった。もちろん、子どもと一緒に1日を過ごし、平日も毎日のように散歩や公園に行き、オンライン授業ゆえに一緒に学ぶことができたのも、とても贅沢な時間だったと思う。好きな場所で暮らし、オンラインで好きな仲間と繋がり仕事ができるこの環境にも感謝している。

が、人間というのは、コミュニティや仲間が必要な一方で、「個」の時間や空間も時に必要であることも改めて知った。母でも、妻でも、会社の上司でも部下でもなく、ただひとりの「松原佳代」でぼーっとする時間だ。集団の中で生まれる感情や思考も、独りで想像し思慮することもどちらも人間を人間であらしめるために必要な要素なのだろう。まあ、ワガママな生き物なわけだ。

ひとりの時間を改めて持ったこの2ヶ月。個人に生まれた誰にも邪魔されない、ぽっかりとあいた「余白」の時間。これは自分自身を象る時間だ。サバティカル休暇なども同じような意味合いを持つのだろう。

私が「余白」でみつけた好きなこと

ひとつは、歩くことだった。この2年間、ポートランド近郊の山や森林を子どもたちと一緒にたくさんトレイルハイキングをしていた。コロナ もあってアウトドアのアクティビティが好まれたことも要因ではあったが、週末になると「トレイル行くか!」と森や山に出かけた。それはどうやら私自身が歩くという行為がとても好きだということも一因していたと今年の秋に気づいた。車を運転しないこともあり、自転車を使うこともあるけど、晴れていれば極力歩きたい。町歩きができるサイズの街に住むのが好きな理由も、おそらくここにある。

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ふたつめは、暮らしをつくること。仕事でチャレンジしたり新しいものに取り組むのは好きな方で、それは暮らしの中でも一緒だ。着物を学んだり、魚の捌き方を学んだり、徹底的に鍋料理をし続けたり、暮らしをより彩る何かを見つけては取り入れるようにしている。この1ヶ月でできた余白でダーニングを始めた(裁縫は苦手なほうの家事だけど)。そしてコンポストを始めた。別の記事に書いたけど、ミミズ飼育が楽しくてたまらない毎日となった。


そして最後は、仕事。これも大事な私の構成要素。社会と繋がり、小さくても社会に貢献すること。これはやっぱり好きだ。Public Relation、コミュニケーションを軸として、まだまだできることはたくさんある。私と仕事してもいいよ!という方はお気軽におしらせください^^

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忙しすぎる日々に学ぶこともある。押し寄せる中で身に付くスキルもある。でも「余白」は人生を豊かにする。浪人のような期間もそうだし、学生時代にぼんやりした時間があることもそうだし、社会に出てから数年ブラブラするのもそうだし。日本社会はブランクをあまり好まないかもしれない。けど、私はそういうブランクこそが、その人らしさをつくると思っている。




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