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母親がもう一度「自分のための人生」を生きるための家事委譲

<目次>
牛丼のレシピ
我が家の料理分担
嬉しいのか悔しいのか
子どもたちとの家事分担の始まり
我が家の家事委譲が目指すところ
「自分が一番」を手離してでも必要なもの

◆牛丼のレシピ

今日はかなり久しぶりに、大真面目に夕ご飯を作った。メニューは牛丼と具沢山味噌汁。

私の作る牛丼は、混合削り粉で出汁を取り、黒砂糖と蜂蜜が甘味担当、仕上げに醤油、という自画自賛のお気に入りレシピ。巷の牛丼屋さんに近いコクが出るのと、牛丼屋さんにはないさっぱりとした味に仕上がる。

もともと、みりんと醤油で作っていて物足りなく感じたので試行錯誤。Google先生も身近でなかった頃に、吉〇家ではキャラメルを入れているだの、〇屋ではココアを入れているだのと言った、怪しげな噂?も参考にたどり着いた自作のレシピ。

方や、夫が私以上に頻繁に作ってくれる牛丼は、めんつゆとニンニクの味付け。薄味にニンニクが効いて、ヘルシー。これはこれで美味しい

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◆我が家の料理分担

ここ2年ほど、平日に2回食事を作ってほしいという私の要請に応えて、夫はもともと担当していた祝日週末の夕ご飯作りに加えて、合計週に4回から5回の食事作りをこなす。会社帰りに食材の買い物を済ませ、帰宅して調理。

それを、フリーランスで1日中在宅のことが多い私(しかもお金にならない市民活動にも熱中している)や、不登校でひきこもりで家から出ない3人の10代の子どもたちが美味しくいただく。

朝ご飯はもう15年ほど、私の持病の都合で各自勝手に(調理せずに食べられる)好きなものを食べることになっており、昼は子どもたちも各自調理して食べることになっている。

最近は、夫が料理しない晩は「ショボご(ショボいご飯という意味の我が家語)」で済ませてしまうことが多いので、私が料理する頻度は減りに減りまくっている。

夫はいつも2食分くらいの量を作り置きしてくれるので、次の晩に私が具沢山の汁物を作り足して、ごまかしてしまうことが多い。ひと言で言おう「(最大限の感謝をこめて)ありがとう!夫も子どもたちも」

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◆嬉しいのか悔しいのか

夫の料理は牛丼に限らず、どれも美味しいし、和食寄りの私が作らない類の料理が多く、食卓が華やぐし食事のレパートリーが増えて良い。なにより、これまで食事作りに取られていた私の時間が好きに使える。

増えた時間でお金にならない市民活動の企画をこねくり回している妻に、夫はひと言も文句を言ったことがない。ほんとうにありがたい。

それなのに、その夫の料理に、私はいつも複雑な思いを抱く。

「美味しいけど、ほんだし使ったよね。私なら鰹節からお出汁とるなあ」「ササっと作ってくれてありがたいけど、出来合いの調味料だよね。私なら○○と○○で作っちゃうのに」

心から感謝しているのは真実なのに、心の中で「私ならもっとできる」と張り合ったり、「私がやっていたら…」と敗北感を感じたり。そしてそれを夫には言えない。だって感謝しているから。

モヤモヤモヤ…

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◆子どもたちとの家事分担の始まり

私の持病もあって、我が家の子どもたちとの家事分担は子どもたちが3才から始まっている。3才でサッカー少年団に入団したから。

泥だらけのシューズやソックス、ユニフォームを、洗濯石鹸と洗濯板で下洗いするのが、彼らの最初の家事分担だった。何かとすぐ寝込む私に負担を増やさないこと、それが我が家の鉄則だったのだ。

母親の負担の重さがささやかれる少年団で、私はひとりのほほんとしていた。少年団の連絡も夫がやってくれたし、そのうちコーチになってしまったので、私の出番は体調は良い時に応援に行くことくらいだった。

私の気まぐれさにきっとママたちの間では不満も挙がっていただろうに、それらは一度たりとも私の耳に入ることはなかった。それほどまでに、私はよく倒れたし、それを理解している家族に守られていた。

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◆我が家の家事委譲が目指すところ

私は日々大きくなる子どもたちへ、どんどん家事を委譲していった。「あなたたちが手伝ってくれないと、私は倒れちゃうの、助けてね、お願いね」

今では、皿洗いもご飯を炊くのも、お風呂掃除も猫トイレの掃除も、洗濯物の取り込みと片付けもゴミ出しも、年に数回やればよい方。全部子どもたちがやってくれる。それも声をかける前に習慣としてやってくれてしまう。

家事能力は生活力で、生きる力になる。学校に行っていない、というのは家事をし、家事のスキルアップする時間的余裕がある、という素晴らしい状態だ。ビバ!不登校!

我が家の子どもたちへの家事委譲の目指すところは、「自分で家庭を経営できるようになること」。家計管理までやってもらってから、独立してもらおうと考えている。

最近の悩みは、毎日やらなくてよい「週一くらいの定期家事」をどう分担&習慣化するか?

そんな優秀?な子どもたちでも、なんともハードルが高かったのが料理。だから、私が台所にいる時間がどうやっても減らない。「この時間を他へ使えたら…」そうして、夫に料理委譲をした。

それなのに…先ほどのモヤモヤが消えない…

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◆「自分が一番」を手離してでも必要なもの

小さい頃から自他ともに認める負けず嫌いの私は、何でも一番でないと気が済まない。洗濯、掃除、子どもたちの世話、料理…どれもワタシ的に極めてきた。

それを子どもたちや夫に委譲するとどうなるか?…先ほどのモヤモヤだ。

「でもね」と私は思う。「15年、私は誰のために家事をしてきたの?誰のために生きてきたの?」それは確実に「子どもたちのため(ごめん夫!)」だった。

「もういいでしょう?」と思う。「そろそろもう一度、自分のために時間を使って、心を割いて、生きてもいいんじゃない?」

それは「一番」を手離しても手に入れる価値のあるものだ。夫や子どもたちと、どんなに心の中で張り合っても、自分の方が上手だと思っても、自分ならもっとできると悔しくても、家事は委譲することに意味があるのだ。

もう一度「自分のための人生」を取り戻すことに意味があるのだ。

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