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ひとは、触れた相手に、触れることでやさしくなれる

夜遅くまでパソコンに向かってうんうん仕事をしている私。「もう寝るよ」という夫は、そう言いながら、私の頭をくしゃくしゃっと混ぜる。私はそれだけでいろんなことがどうでもよくなる。

最近仕事帰りに買い物をしてくれなくなったこと。中学生になった息子たちと、もっと話をしてほしいと思うこと。昨日の洗濯物に入っていたワイシャツ、ボタンがはまったままだったし、袖もまくられたままだったこと。さっき食卓に足を上げてテレビを見ていたこと。

どうでもよくなる。イラっとしていたのに、ムカッとしていたのに、どうせ…と思っていたのに。「まあ、いいや」って思ってしまう。その、頭をくしゃくしゃっとする指で。

触れることは大切だ。触れることにはすごい力がある。大切に思っていると相手に体温で伝えることができる。

でも、触れることができなくなる時もある。

「イラっと」や「ムカッと」や「どうせ…」どころではなく、イライラ、ムカムカ、触れられれば爆発しそうに思える時。

そんな時はどうしよう。

これは長い間、私の課題だった。自分がパンパンに膨れ上がった風船のように思えて、いつでも爆発しそうな爆弾にも思える時。そんな時はどうすればいいのか、ずっとずっとわからなかった。

そんな私にしびれを切らした夫が、頭をなでたり、抱きしめたり、あれやこれやと触れてくる。そして私の中には「まあ、いいや」が湧き起こる。でも私はそんな自分が許せない。

怒っていたじゃないか、悲しかったじゃないか、それなのに、そんな簡単に「まあ、いいや」にしてしまっていいはずがない。そんなのは問題の先送りだ。

そう思っていた。

そうじゃない。いや、そうじゃなくってもいいんだ。

今の私はイライラして、ムカムカして、「爆発する!」って思う時、とりあえず、相手に触れることにしている。台所でお皿を洗っている夫に後ろからぎゅー。テレビを見ている夫のヒマそうな手をぎゅー。寝ている顔をパタパタ。

もしも、相手に直接ぎゅーなんてとんでもない!というレベルに爆発しそうな時は、代理で子どもたちをぎゅーっとさせてもらう。一種の緩衝材、予行演習。そんなもの。

やわらぐのだ。ほどけていくのだ。いろんなものが。いろんな思いが。そしてあたたかな思いが湧きあがる。触れることで。

ひとは、触れた相手に、触れることでやさしくなれるのだ。

でも、問題の先送りだと思ってしまう自分はどうするか?

今の私は、とりあえず触れて、「まあ、いいや」を通してまだ、居残っている問題だけに取り組むことにしている。「まあ、いいや」のフィルターですら通れなかった問題こそが重要で緊急性が高い。

ということにしている。

相手に不満がある時、やさしい気持ちになんてなれない時は、相手に触れるといいんだ、と私は知った。指一本でもいいから、相手の体温を感じて受け止める。体温はコチコチにこり固まったものをゆっくり溶かしていく。

心がこり固まった時って、実は、誰にも触れていない時間が長い時だったりする。そんなことを思う余裕もない時だったりする。

ひとは、触れた相手に、触れることでやさしくなれる。触れなければやさしくなれない。触れなければやさしさは始まらない。だから触れるのが始まり。

今日の夫は風邪をひいて「くしゃくしゃっ」の余裕もなく寝てしまったけれど、私は「大丈夫かなあ」と心配できるやさしさがいっぱいあるからしばらく大丈夫。

触れることはフィルター。残るのは課題、落ちるのはやさしさ。香り立つのは相手を大切に思う気持ち。


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