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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第93回 第75章 真夏から秋へ、秋から冬へ (後半)

 国試合格記念樹として(「さんまさん、あの歌まだ歌える? あの後、父さんも母さんも死んじゃったから、みんなと作ったあの番組の思い出が私の故郷になったの」)、バックアップの意味もあって年度ごとに同じ樹種の木が2本ずつ大学構内に植えられて行く。遠い将来にはキャンパスは森に戻る。合格者発表の3月中旬はまだ北海道では寒くて植樹には向かないため、植樹式はその3ヶ月後の6月15日前後の月曜日と定められている。言わば、移動植樹日である。これは札幌祭りの時期と重なる。私は6年間の総合点が2点差で医学部首席卒業だったため、その樹種を提案する栄誉に浴した。実際に決定したのは理事会である。私の希望通り、カリフォルニアのセコイアデンドロンに決まった。高さ80メートルぐらいまで成長し、最高樹齢3,200年と言われている。25メートルプールの3倍強の高さとは想像を絶する。台風で倒れる前の北大ポプラ並木の高い方のポプラで30メートルぐらいだった。私が式典で、19メートル離れたところに立つ学部長と一緒に植えたのは実生12歳の苗木である。だから、うまく行けば、3,188年後まで私の子孫がずっとこの木を見物にやってこられるだろう。
「この木、ボクの曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾(中略。この漢字何だかシマウマみたいに見えないか?)曾祖父さんが植えたんだよね」
 まず少なくとも一人子どもを作っておかなければならないが、中間省略登記のように、子どもがいないのに、いきなり孫を発生させることはできないだろうか。「べろべろべろ、おじいちゃんでしゅよう。Call me Ojiji.”
 この企画を提議し、習慣として定着させた植物好きの2代目学長先生に敬意を表したい。学長室には自らが描いた植物画が数点飾られている。繊細でしかも明るい筆致である。すでに物故されているが、医学者ではなく、むしろ植物学者か画家になっていただきたかった異才であった。
 ヨット部では毎年度最終活動日に墨書による航海日誌署名式を行っている。ボクの下手な字の自署も残っている。これらの歴代の航海日誌は大学図書館の書庫に保管されており、学長の職印ではなく自署による許可の下でのみ閲覧可の指定がなされている(禁帯出)。
 すべては夢のように現れ、留まることなく去って行く。バーベキュー、つまり我々全員ができるドイツ語の動詞で言うとgrillenをしながら喋り続ける我々も、やがて全員が斃れ、骨と灰と煙に変わり、地球に還って行くのだ。しかしそれでもなお、一瞬の刹那、一滴の海水の中にも全宇宙があり、我が母校キャンパスに隣接する楡の林やリンゴ園の木陰の下を一緒に歩いたボクらの日々がそれぞれの脳内から消え去ることはない。

第76章 ヨットを離れて早何年 https://note.com/kayatan555/n/nba0f083ceb3d に続く。(全175章まであります)。

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