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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第91回 第74章 ヨット訓練より浜辺で酒盛り、そして卒業

 大きな国際レースに出場し完走した我々は、学部内で以前より大きな顔をしていられるようになった。その後も、まだ学生だったころは引き続きヨット部の艇庫が使えた。限られた回数だが、ボクらはあそこに泊まり込んで生理学や解剖学の勉強会をやったこともあったのだ。すぐに酒に手が伸びていったのだが。
 君は、あの二度と戻らない、北海道としては例外的に贅沢なほど高い気温が続いていた、短い、汗と惰眠と饒舌な無駄話の日々を覚えているだろうか。波打ち際は、海と陸と空の接線だ。その絶え間ない往復運動を目の当たりにしながら、海岸に迫る森林と崖の木陰と潮風と何種類もの食料の作り出す豊かさの中で、何らの警戒心も不要で海ダチたちとお喋りを続けていたあの日々。
 私自身を含め、理想体重に近い部員の多い我々であるが、中には内科の先生に説教されるような例外もある。熱い砂浜にずらっと並べた体重120キロまでOKのデッキチェアーの上では、何頭かの「アザラシ」や「セイウチ(誠一?)」らが全方向満遍なく肌を焼きながら、取り立てて睡魔と戦おうとしないままでいる(別に負けたって良いではないか。グー)。辺り一帯の雰囲気は弛緩しきっており、今年の夏はいつまで続くのだろうか、という疑問は次第に尋ねるタイミングを失って、またいつかそのうち聞けばいいや、とうっちゃっておかざるを得なくなってしまう。
 いつも「海からの贈り物」である流木を早めに大量に集めておいては喫水線から離れた場所に積んで、からからに乾かしておく。この作業はできれば酒を飲み始める前が望ましい。少し飲んだ後ですると、流木のトゲが刺さったりするし、すでに脳が空っぽになっていて他人の網膜の映像を自分で見ているような感覚になる。
「人類はみな兄弟ってか?」
(その経緯、出アフリカから、ぜーんぶ話すかえ?)
 扱いにくい形の流木は小型ノコギリでぎーこぎーこ切断しておく。細い枝がノコギリの横に当たって、まるでガラス表面を爪で擦るような耳障りな音を立てることがある。
「キー、キー、キー」
「やー、めー、てー」
「キー、キー、キー」
「おい、やめろっつってんだろ」
「キッ」
 どこをどう切るかは自由に決めていい。手術の場合には許されない裁量である。
「奥の方切りにくかったので、代わりに手前を切っておきました」
(かえって治りが早かったりして)。
 少し錆びてきているね、この鋸。それに途中で少し曲がっている。前より力を入れないと切れないようになっている。無理もないさ、海のすぐ前だもの。こうして山にした流木を少しずつ運んでは大きな石で組んだかまどで燃やすのである。何百回繰り返していても飽きない楽しさである。一種、ちらし寿司の具をひとつひとつ丹念に片付けて行く作業にも似ている。
 ほぞを穿った柱やカンナもかけられていない太めの材木が打ち上げられてくることもある。流木の一部はバランス悪く随分変な形に成長した後で、海を運ばれて海水のミネラル分をたっぷり吸い込んだり、中に何かの生物の卵が産み付けられた跡の穴があちこち空いたまま、この海岸に流れ着いたのである。運悪く、波の具合で流木に頭を叩かれて気絶している間に他の生物の餌食にされてしまった魚もいるのかも知れない。まさか幕末時代から1世紀半延々と海を漂い続けてようやく上陸を果たした流木はないだろう。
「拙者、補欠入学の藩校時代から、二の足を踏む悪い癖があり申して」
(超低速・流木流離譚)。
 そうした木や枝を炎の上に乗せて、手で押さえて角度を変えながら最後にはすっかり灰になるまで放心状態で燃やし続けている。焚き火中のボクらの顔付きは、大昔洞窟の中で、外からヒトの匂いを嗅ぎつけてはやってくる猛獣の襲撃を避けようと、昼夜を問わず入り口付近に火を絶やさなかったであろう原始人の表情とどれほど違っていただろうか。
「おい、雨だぞ、火が消えてしまうぞ」
 火ばさみはもう傷んでいて、まともに流木を支えることができなくなっているのだが、何とはなしに不便を忍んで使い続けている。何年かに一度、直径70センチもの丸太が上がることもある。ちみ、どこから来たん? これを波打ち際から5人がかりで相撲取りの突っ張りのように砂浜の上を転がして安全な場所まで押し上げるのは重労働である。息が切れ、カノッサの靴底、間違った、「カノッサの屈辱」(Umiliazione di Canossa)を思い出す(重いだす)。横でキャンプに来ている子熊たちが扇子を煽って応援してくれる。
 そこまで行かなくても、大きめの流木はしばしば目の前の浜を流れていったり、知らないうちに打ち上げられたりしている。太めの流木を燃やしていって、すっかりなくなるまでに何日もかかることもある。その間にどれだけ無駄話に興じただろうか。何本の酒を空けただろうか。腎臓が何ガロンの尿を生産しただろうか。

第75章 真夏から秋へ、秋から冬へ(前半) https://note.com/kayatan555/n/nb9159c892407 に続く。(全175章まであります)。

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