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近況とか(20191006)

4人でカフェでおしゃべりすることがあった。僕と1人は先に店に入っていて(A,B)、あとから2人来た(C,D)。A,Bは2人用の席に座っていて、隣も2人席だから、C,Dはそれを引っ張ってくっつけた。

お店の人が通りかかって、「勝手に机動かさないで」みたいな感じで言った。嫌だったみたいだった。その後、2人の注文を取るのも飲み物を持ってくる時も、ちょっとトゲトゲしていた。2人は最初に言われたときに軽く謝ったし、もうそれ以上は萎縮する必要もないので、別に気にせず過ごしていた。

あとでCは電源が欲しかったから、奥の4人席に動きたいということになった。コンピューターの画面をみんなで少し見る用事があった。僕ならその日の状況だとちょっと躊躇してしまうかもしれないけど、Cは普通にお願いして、さっきの店員は嫌そうながらも承諾した。

そのまま4人でしゃべっていてしばらく経ったとき、さっきの店員がケーキを持ってきた。製氷された氷ぐらいの大きさに分けられたブラウニーが6個ぐらいのっていた皿だ。渡すときに結構長く会話をしていたが聞き取れず、あとからどういうことか教えてもらった。

つまり、トゲトゲ態度について謝らせて欲しいということだった。時間が経つにつれて「このまま仕事を終えて家に帰ったら、後悔する」みたいなことを感じたから、自分の判断で落とし前と言うか、感情や自意識をイーブンに戻しておきたいって感じだろう。少なくとも、店や自分の評判のためとかっていう説明ではなかった。人間らしいと思った。そもそも、最初にイラッとしたことをぶつけてきた時点で人間らしい。机の位置やセッティングは愛着を持つ価値がある仕事だ。そこを土足で荒した客に一言いうのは、好感すら持てる。問題は、その後までトゲトゲ態勢を引きずったのが自分で嫌だったってことだと思う。で、謝らせてほしいとお願いしてきたんだろう。ブラウニーを受け取って欲しいと言った。もしかしたら、それを断る人もいるだろう。謝るとは、そういうことだ。自分の美意識から自分を脱線させてしまった行為について釈明して、相手の力を借りて自分を元の路線に復帰させる手続きだ。

そういうことは、どの街でもありうるし、誰でもできるかもしれない。ただ、その出来事の起こり方やテンポ、それへの返答、各所で表示される愛想の量…そういうものが、僕はいちいちメモしたくなるぐらい新鮮に感じる。恥や罪や美や正しさや優しさや愛や望みというものを、どう理解してどう自分の芯に組み込んでいるかが、とてもよく表れているように思えるからだ。

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その喫茶ではがんがん上からロウソクを足すので、どんどん育つ。


色んなことが、日々生きているとたくさん起こる。1つ1つ、近所の人やお店の中での細かいやり取りの中に、自制だとか自己への思考や人間を重んじる感じ、何かへのストラグル、真善美への姿勢、そういうものが圧縮されている。所作や言葉にあらわれるのは、当人が何十年生きてきた考えや感覚だけではない。文化圏で根付いてきた教育や理念が、オーバーダブされながら人間に流れ込んでいる。

最近何があったかを書くと、こういうことを考えたりしている、ということになる。こういう文章が誰にとってどう面白いかも不明だけど、僕は今自分で、そういうことを考えたいと思って考えている。で、できるだけ伝わりやすいようには書いてるつもり。そうしてると、会うべき人に会ったり、挑むべきテーマにぶつかったりする。