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菫 10







某月1日 日中


「…こんにちは。特区へようこそ。宮前です」

「…宮前さん! 会えて嬉しいです! 私、ずっと会いたかった…!」

「そうですか。それはどうも……あの、早速ですが書類をお預かりしますね」

「はい! あとこれ、宮前さんにお手紙書いて来たんです! 読んで下さい!」

「いや、こう言うのはちょっと…って言うか、ですね、……お話があります吉川さん」

「はい? なんですか?」

「私には恋人が居るんです。その人はとても繊細な人で、不安になりやすい人なんです。だから、あなたからこう言う事をされるのは、彼女を不安にさせるので……困ります」

「……イヤです」

「え?」

「イヤです。宮前さんに恋人が居るなんてイヤです。嘘ですよね? そんなの嘘ですよね? どうしてそんな嘘つくんですか? そうやって私の気を引きたいんですか? でも大丈夫。私は宮前さんの事ちゃんと、好きですから。そんな事言わなくたって大丈夫ですよ?」

「なっ……、大丈夫じゃ、ないですよ! 恋人はちゃんと居るんです! 言っておきますがあなたが私にこう言うストーカー行為を働くなら、私の権限であなたを他の特区に移す事も出来るんですからね! 最悪、どこの特区にも行けなくする事だって…! だから離れて!」

「ひどい! あなただって本当は私の事が好きなのにどうしてそんな事言うんですか? 何度も親切に丁寧に、私の質問に答え続けてくれたのは私の事が好きだからでしょ? 私を遠ざけるなんて、そんな心にもないこと言わないで! 怒りますよ!」

「何、言って………いい加減に、して………離れて、離れてって……言ってるんです!!」

「痛っ……、……どうして。 なんで、こんな事するの…? 私を嫌いになったの…?」

「だから! 最初からあなたの事なんて好きじゃない! もう良いです!  あなたにはこの特区から出て行って貰う為の手続きを始めます!」

「……その女! その女ね! 自分が宮前さんの恋人だって勘違いしてるその馬鹿な女! その女が宮前さんをたぶらかしてるんだ! その女を殺せば良いんだ! どこに居るの!」

「あっ…! ちょっと、吉川さ…!! 一体どこへ!」

「女よ女! とにかく特区に居る女を全員殺せば宮前さんは私のモノ―――――…に…っ?」



「え………っ、莉奈ちゃん…? 何、して……やっぱり、ついて、来て……それ、包丁?」

「逃げて、つーくん! コイツ! この女やっぱりダメ! こう言うイカれた考えの女はいつか必ず勝手につーくんに絶望してつーくんを殺そうとしてくる! だから殺す! 私がこの女を殺す! つーくんの事は私が守るから! だから逃げて、つーくん!」

「莉奈ちゃん…?」

「私、つーくんに嫌われたって良い! 人殺しだって怖がられたって良い! …ごめんね! でも、つーくんが死んじゃうのはヤだから! だから、だから私が、殺すの! 死ね! 死ね!」

「莉奈ちゃん。……莉奈ちゃん!」

「ヤだ! ヤだぁっ! 来ないで! こんな私を見ないで! 逃げて、逃げてったら!」

「違う! 莉奈ちゃん! そうじゃない! そうじゃないんだ! 良い! 良いんだ! 莉奈ちゃんが僕の為にしてくれる事なら、人殺しだって僕は嬉しいよ! 大丈夫だよ! 僕はそんな事で莉奈ちゃんを嫌ったり怖がったりなんかしない! そうじゃなくて!」

「つーくん…! ――――……良かっ…、私、つーくんに嫌われたらって思うと……」

「うん、大丈夫。大丈夫だよ。それは大丈夫。それよりも、見て、吉川さんを……。 ……多分、もう死んでるんだろうけど………ほら、包丁なんか捨てて、こっちにおいで」

「この女がどうかしたの? ヤだよ、つーくん、こんな女の事、もう気にしないでよ…」

「そうじゃなくて、よく見て、ほら…」










某月29日 夜間


自分が為すべき事が明確になった安心感からか、あるいは頭を使い過ぎたせいか、柿崎は前日の夜から今日の夕方まで眠りこけていた。おそらく今日も隣人は朝方まで嬌声を上げ続けていたのだろうが、それすらまったく耳に入って来ない、深い、深い眠りだった。

そして昨日まとめた考えを、時間にして一昼夜経ってから冷静に見つめ直してみる。深夜に書いたラブレターと言うものは、朝になって読むと恥ずかしいものだ。だから、昨日決めた覚悟も、どこか綻びがあるかもしれなかった。自室を出て、共同シャワールームで熱い湯を浴びながら昨日を顧みる。


莉奈に殺される為に、宮前と莉奈に恨まれる覚悟は決めた。なんだってする。そうは言っても、もし恨まれずに殺して貰えるならそれが一番ではないか。莉奈に殺されたい気持ちは揺るがない。だがそこに狂気がある必要は、ない。

「これこれこう言う理由で、私を殺してください」
「わかりました」

となり、穏やかな雰囲気の中、莉奈に殺して貰えるのならそれはそれで良いのではないか。莉奈はきっと自分の事なんてなんとも思っていない。むしろ一目惚れをした邪魔者だ。そんな邪魔者を殺してしまえるのなら莉奈にとっても悪い話ではないのではないか。

自分から殺して欲しいとお願いして殺されるのだから、誰も傷つきはしないだろう。宮前に恨まれる覚悟を決めはしたが、宮前には恩義がある。恨まれないで済むならそれに越した事はない。宮前はきっと恋も仕事も忙しい身の上なのだろうから、自分の事で心身ともに煩わせてしまうのは申し訳ない。

ならばする事はひとつだ。

柿崎はシャワーを浴び終えると新品の下着に肌を通し、携帯端末を手に取った。



「こんばんは、宮前さん。柿崎です」

「…柿崎さん? こんばんは。 どうかされましたか? 最近はいかがですか?」

「最近は、まぁ、その……、あのですね、その事で、アンバサダーの宮前さんにちょっとご相談したい事がありまして…、そんなにお時間は取らせませんので、もし良ければ今からちょっと噴水広場で落ち合えませんか? 10分、15分くらいで済みますので、あんまり時間取らせちゃうとまた彼女さん心配させちゃいますしね」

「あぁ…、なるほど。お気遣いありがとうございます。今からですか…待って下さいね。彼女に確認を取って、大丈夫だったらまた連絡します。噴水広場ですね? 了解です」


宮前からの返事は「OK」だった。それを受けて数分後、柿崎も自宅を出た。しかし、向かった先は宮前の待つ噴水広場ではなく、フルーツパーラーだった。宮前が居ないのだから、あの家には今は莉奈が一人だけの筈。そこでなら莉奈と二人だけになれる。そして事情を話し、殺して貰えばそれでOKだ。



「どちら様ですか? つーく…、宮前は今、留守ですが…あ、役所の方、ですか…?」

「え? あ、あの自分は……前に……。…あ、いえ。私、神崎と言う者なのですが…」


思えば特区に来てもう一月近く、恋煩いのように莉奈の事を考え続けているが、柿崎が莉奈とこうして真っ当に対面して言葉を交わすのはこれが初めてだった。また、宮前と一緒に居ない莉奈を見るのも初めてだった。随分と印象が違う。少なくとも初めて会った時のように問答無用で殴り掛かって来はしなかった。それどころか莉奈は、とても丁寧に、普通に、柿崎を客として扱い対応した。

それはつまり、約ひと月前に殴った相手の事などもう忘れていると言う事でもあるが、それは仕方がない。柿崎も、こうして改まって莉奈と対面して話してみるまで、こんな表情もする女性だと言う事は知らなかった。改めて見ても莉奈は美しいが、自分の中での美化が過ぎて、理想の莉奈と実際の莉奈の顔に乖離を感じるくらいだ。それぐらい、ほぼ言葉を交わした事のない相手の顔の印象などあいまいなものだ。

だから莉奈が自分の事を忘れていたのは少し傷付いたが仕方がない。お互い様だ。そう思った柿崎は、それなら初対面からやり直そうと、敢えて偽名を名乗った。顔の印象はあいまいなものであっても、もし柿崎と言う名前を憶えていてそれでまた殴られて話も聞いて貰えないのでは―――と言うより最初はそれを想定していて、口論の末になんとか殺して貰おうと思っていたのだが、話せば分かると襟を正し、自分が特区に来た理由を正直に莉奈に話し、深く頭を下げて殺害を強請った。


「あなたを殺すなんて、出来ません。帰って下さい……」

「……え、どうして、ですか…? ただ心臓を一突きしてくれるだけで良いんです。別にあなたに恋人になって欲しいとか、そう言う訳じゃ、ないんです。店の前で死ぬな、と言うなら、刺して貰ったらすぐにどこかに消えますから。あなたに素敵な恋人がいらっしゃるのも知っています、どうかその人とお幸せに。あなたはただ、何気なく道端の石を蹴飛ばすように私を殺してくれれば良いので。何も気に病む必要はないですし、そう言うシーンが苦手なら目を瞑っても何でも…」

「そう言う事じゃなくて」

「………あ、はい」

「ごめんなさい。正直何を仰っているのか半分くらいよく分かってないですけど、要はあなたにとっては、殺される事が、何より幸せな事なんですよね、きっと…」

「はい、ですからあなたにただ殺して貰えるだけで良いので…」

「出来ません。 私は、彼以外の誰かを幸せにしたくありません。イヤなんです。他の誰かを幸せに出来るかも知れない時間も気持ちも、全部彼に使いたいんです」

「あっ……―――――」

「ごめんなさい、だから帰って下さい。すみません。彼にはこの事言いませんから。だから、お願いですからもう二度と私たちの前に現れないで下さい。………お幸せに」


そうだ。莉奈ならそう言うに決まっている。どうして話せば分かるとでも思ったのか。莉奈と言う女性は、柿崎が思っている以上に完璧に、柿崎の理想を体現した女性だった。

莉奈は宮前の為だけに生きている。莉奈の生きる理由は宮前の為だ。それ以外にない。他の誰かを幸せにする事も、他の誰かに幸せにされる事も、莉奈は望んではいない。

だからこそ莉奈は完璧で、自分は莉奈に殺されたいと強く願ったのだと思い知らされる。柿崎は、以前、通りで女性に刺し殺されていたあの男性のような、浅はかな覚悟の程を身の内に感じて二の句が継げなかった。物理的にではなく、今度こそ精神的に頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。莉奈と言う女性は、どこまで美しいのか。

神崎と名乗る柿崎に深々と頭を下げる莉奈にそれ以上何も言えず、分かりました、と消え入るような声で告げて、柿崎はフルーツパーラー後にした。



呆然としていた、そして恍惚としていた。絶対。絶対だ。自分は絶対に莉奈に殺されるんだ、と誓った。ぼんやりと、月を見ながらニヤついた表情を浮かべ、街を、フラフラと徘徊していた。



「…さん! 柿崎さん!」

「……え? …………あっ! 宮前…さん…っ! あ、すみません、あの…っ!」

「待っても来ないし、連絡しても出ないし、一回家まで行っても居ないし…心配しましたよ! ……どうかしたんですか? 大丈夫、ですか…?」

「あ、いや……、すみません…」

「まぁ…無事こうして落ち合えたのなら深くは聞きませんが…それで? 話って?」

「あ、えーと…………――――――と、特区って……」

「…? はい、特区」

「……あの………、…―――お正月に実家に帰省とか、って…出来ないです…よね…?」

「…………。 ………はぁあっ?! そんな事、出来る訳ないでしょぉおっ?! ちょっと、そんな事の為に…って、言うのはまぁアレですけど、それ位なら別にわざわざ呼び出さなくてもメールで訊いて下さいよ! 私帰りますからね! 帰りが遅くなってまた彼女が心配してるんですから! 失礼します!」

「…すみませんでした……」

「……まぁ、良いですけど! …それじゃあ。もしかしたらこれで年内最後かもしれないんで……柿崎さん、良いお年を。来年こそ、柿崎さんにも幸せな結末が訪れると良いですね。―――大変ですか? 自分を殺してくれる相手を探すって」

「そうですねぇ…、良い線まで行ったんですけどこれがなかなかに大変で……。あ~あ、こんなんだったら最初の日に宮前さんの彼女に殺されておけば良かったなぁ」

「馬鹿な事言わないで下さいよ、莉奈ちゃ……私の彼女はそんな事に加担しませんよ。私の自惚れかもしれないですけど、彼女は、私との幸せの為だけに生きてるんです。だから残念ながら柿崎さんの幸福追求のお手伝いは私たちには出来ませんよ~、だ」

「ははは…それはそれは…、お互いよく分かり合えてるんですね―――――本当に」

「はい。私は、彼女と特区に来て、本当に良かった。柿崎さんにもそう思って貰いたい。…がんばって!」

「……男柿崎、ガンバリマス! じゃあホントすみませんでした――――良いお年を!」











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