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決めつけて、創る。


偏見は持ってはいけないと言われる。
特に、価値観が多様化している現代において、個人的な考えだけでなにかを言い表してしまうことを、この世界は許さなくなっている。

それは、現代は個人が尊重される時代だからだ。「わたし」と「あなた」は違う。だから、自分の考えが他人にも適用できるとは限らない。
そういうわけで、現代は、偏見を持たずに物事を考えることが当たり前に受け入れられている。

それは人類にとって正しい。
けれど、私たち人類が創り出す……クリエイティブにとってはどうだろうか?

なにかを創作するときに、それを力強く支えてくれるのは、「決めつけ」の精神である。
そうすることで、創作物は異彩を放つ。オリジナリティを強固にする。

なぜなら、決めつけるとは、自分の世界を押し出すということだからだ。
現実でそれをすることがタブーになってきているのは、その行為があまりにも強すぎることの裏返しである。
誰も、自身の価値観を盾に押し進んでくる人を退けられない。
できるとしたら、それは同じように価値観を押し付けられる人だけなのだ。
偏見を持つなと言われるようになったのは、その行為が、それそのものでしか対抗できず、不毛な争いにしかならないからである。

だからこそ。
物事の性質や理論や法則などを、現実的には正しくないとしても、決めつけてしまうこと。
これはクリエイティブにとって、大きな武器になる。

創作する者の偏見をありのままに表明することは、簡単には対抗できないオリジナリティを形成することに等しい。
何かを創造することは、創作者独自の世界を作ることだ。
それは、偏見なしでは弱々しい。
他人の価値観に配慮したオリジナリティなど、あるはずはない。

だから、あえて言うならば、クリエイティブにとって偏見は歓迎すべきものである。
価値観が多様化する現代だからこそ、自身のオリジナリティを強く持つことは、ますます大事になってくる。

どこまで決めつけてしまうのか。
それはクリエイティブにとって、その世界をどこまで強く支えるのかということの問題である。
このことはクリエイティブの根幹とでもいうべき、重要な話だ。

現実の人にとって、他者を傷つけ得る「偏見」はダメだと言われる。
けれど、それは創造のためには、必ずしもならない。

だからこそ、現代のクリエイティブは難しい。
だからこそ、現代のクリエイティブはやりがいがある。


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