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未知への恐怖と論理と霊力

 人間は未知を恐がるが、残念なことにそれは冷静な判断力よりも直感が働いたということが理由である。即ち現代にいたり、私たちは未だに科学的思考よりも感覚的な思考を重視して生活している。これほどまでに科学と、技術と、テクノロジーを発展させ、その恩恵に預かっておきながら。その有用さを存分に知っていながら、私たちは結局のところ、理論的なものより、霊力を信ずる精神状態にある。

 そうではないと思うかもしれない。確かにわたしたは1人1人は論理的な一個の存在だ。現代的な一般人であれば一定の論理的な思考を持っているのは当然で、霊力など頼ろうとするはずもない。しかし、論理とは前提となる知識や判断基準がなければならない。それがない場合はまさに、その判断は直感となる。
 そして、現代では様々な専門分野が複雑に絡み合い、混沌とした社会を形成している。これは生活の中で、私たちが適応できる知識に限界がある、ということだ。いつも使えていた知識が、この時には役に立たない。ここではこの理論で通用していたのに、あっちではあの理論でなければならない…そういったことが色々な場所で起こっている。
 それに、私たちはその色々な場所に所属せざるを得ない。そうやって生きていくことがスタンダードだからだ。そのことによってますます、私たちは限られた理論だけでは生きていけない。だから全く理論のないまま、あるところに放り込まれたり、そこでの常識を判断しなければならないということが起こる。
 そうした時に私たちが頼ってしまうのが、それまでの経験や、それに基づく直感である。これは結局のところ無根拠の霊力という他ない力であり、そのことが、私たちに未知を恐がらせている原因の1つとなっている。

 だが、私たちはそれに頼ることをやめられない。知識には限界があり、直感を使わねばならない場面は多々訪れるからだ。そしてその未知は、非論理的である。このことは、覆すことのできない事実としてある。
 もし、未知を恐れたくないというのなら、私たちはたとえどれほど霊的に思えるものに直面したとしても、そこには必ず論理があり、必要な知識さえ備えれば理解できるものなのだと忍耐強く見据える覚悟が求められる。

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