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少女×老婆:触れえないけど支配したい相反する欲望の魅力

【ロリババア】
見た目は少女の様であるが、実年齢がずっと上であるキャラクターや、若いのに喋り方が年季の入った古風な話し方をするキャラクターなどをこう呼ぶ。キャラクターの内面と外見のギャップを楽しむ人達が付ける。
※ピクシブ百科事典 より

特に、漫画やアニメなどの図画的表現を含むエンタメにおいては、それなりに古くから愛されているキャラクタージャンルであるのが、上記「ロリババア」である。
愛されているのにこの名称というのはいささか不憫ではある。だが、これは親しみの表れなのであり、また、「ロリ」なのに「ババア」だという、ギャップをその名称からして端的に表すのに、このような呼び名になっていると解釈できる。

元来、ロリババアとは、「妖怪」や「怪異」といった「人ならざるモノ」をキャラクター化していった――つまり擬人化をしていった流れの、ひとつの帰結としてあるものだ。
なぜなら「ババア」とは、単に年齢を重ねた女性という意味以上に、人間を超越し、それを戒めたり被害をもたらすようなモチーフとして描かれることがあるからだ。
つまり、山姥や祈祷師や呪術師、魔女などの伝統的なものから、都市伝説に表される「〇〇女」というようなものの類である。

女性性が、そういった「魔力」や「不可思議」「呪い」などの超常的なものと結び付けられることの意味や是非については割愛するとして、そもそも妖怪や怪異というのは、古くから世界中で親しまれてきたエンタメジャンルである。
多くはその災害的側面、あるいは理不尽さ、時には教訓などといった、私たち人間を凌駕し、ある種律する存在として描かれている存在なのだ。

一方で擬人化とは、ある事物の特徴や歴史や伝統などを抜き取ってキャラクター化し、いわば人間でないものを「隣人」として迎え入れやすく、可愛らしく、魅力的に受け入れようとする試みである。

超常的な存在である「老婆」を、人型としてもっとも弱弱しい存在である「少女」の外見と結び付け、元の「人外」のパワフルさの器とした。これにより、キャラクター内外のギャップを最大にまで引き上げ、その魅力として受容するに至った、というわけである。

ここには、ふたつの欲望がかかわっている。

ひとつには、そういった超常的・恐怖的な存在に認知してもらい、親しくなり、守ってもらう・庇護してもらいたいという欲望である。
そしてまた、そういった少女の処女性を愛で、あるいは支配し、囲い込み、背徳的な気分を味わいたいという欲求である。

即ち、女性性に対して、それを「見上げるか」そして「見下ろすか」という、ひとつの男性的立場による相反する欲求を、一度に満たしてしまおうとする、そのような試行錯誤の中で生まれたキャラクターと言えるだろう。

実際のところ、ロリババアは、苛烈に男性を責めたり見下していたりするタイプが基本的であり、一方で少女ゆえの弱さも備えている。
あるいはシチュエーションによって、目を覆いたくなるほどの残虐性と、心が痛くなるほどの脆弱性が容易に使い分けられているキャラクターでもある。

妖怪や怪異が、そもそも災害や社会の不安などの擬人化であるとすれば、それを更に擬人化したこのテのキャラクターたちは、人間を取り囲みつつ触れえぬものへの畏怖と、それを手中にしコントロールしたいという、人間の欲求の産物である。

そのような相反を内包したキャラクターだからこそ、ロリババアは「ギャップを楽しむ」ことができるのである。
そもそもの成り立ちからして、このような欲望を混ぜ込まれて作り出されたものであるから、その魅力は計り知れないものとなる。

そういう意味では「ロリババア」という名称も、そういったないまぜとなった感情が表されているようで、興味深い。

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