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可愛くないキャラはいない④ 主文:可愛いを分解する

※序文
●可愛くないキャラはいない① 序文:「女体化→女性的→カワイイ」
https://note.com/kawausowright/n/n7285428988e6

0.すべてのキャラクターはなぜ「可愛い」のか

なぜ、可愛くないキャラクターはいないと言えるのか。
それは、私たち人間は遺伝子的に、魅力的だと思うものを「可愛い」と認識するように刷り込まれているからだ。
更にそれは、女性的なものを見出す、と言う意味でもある。
これは、私たち人間が歴史的に、女性を「見る対象」として、その美醜を判断することを当たり前に行ってきたからである。
キャラクターは見られるために作られており、それが魅力的に映るということは、即ち可愛いということ、女性性があるということ、そういう判断だ。

キャラクターというものは事象事物を擬人化し、その魅力を具現化したものである。だから、そこに女性的な魅力、即ち可愛さが生まれ、私たちはそれを評価する。
それが、キャラクターというものの仕組みである。

1.可愛いのイメージ

とはいえ、キャラクターと一口に言っても、その種類は様々で、現代では実に多様な設定が盛り込まれるようになった。
そのような中で、特にこの「可愛さ=女性性」などという考え方は、もしかすると当てはまらなくなってきているのではないか、という懸念が生じる。

しかし、それこそが、私たち人間が自ら陥ってしまう罠である。
そもそも、この「女性性」という言葉は、単なる言葉以上のものではない。
歴史的に見て、人類が「女性と名付け勝手に分類した集団」に対して「可愛いと名付けた感情」を抱くことが多かったというだけである。
それがいつしか、「可愛いと思うもの」は「女性的だ」と自然と想起するようにならされたまでなのだ。

そこに覆しようのない自然の法則は存在しない。
ただなんとなくそのようになってしまっただけである。
だがそのなんとなくは、もはや個人の裁量だけでは覆しようがなくなった。

2.女性的な可愛さのイメージ

そういうわけで、キャラクターというものは全て可愛いものなのだ。
可愛いところがなければキャラクターではない。
そして、前述したように可愛いというのが女性性とイメージとして結び付いていることから、その女性性から想起される様々なものは、可愛いという感情とすら結び付く。
つまり、キャラクターを可愛いと思うとき、たとえそこに女性性をダイレクトに感じていなくても(つまり、性別が女性であったり、外見が一般的に女性であったり、言葉がそうであったり、好みが女性っぽかったり……というキャラでなかったとしても)、以下のような場合、それは女性性のイメージによる魅力なのである。
・弱い
・小さい
・細い
・面倒見がよい
・几帳面
・きれい好き
・集団的
・強い精神力
・サポート役
 ……などなど

即ち、いかに女性性というものが、なにか欠けていたり劣っていたりというイメージ、内的なイメージを中心として押し付けられてきたかがわかる。
これは未来永劫変わらないイメージではないが、そう簡単には覆らない女性性へのイメージである。

3.キャラクターの正体

そして、こういった女性性のないキャラクターというのはまず現れない。
もし上記の単語に関連した設定を持たないキャラクターがいたとしたら、それは魅力的でないからだ。
キャラクターは見られるために作るものだから、そのための設定は必要不可欠である。だからキャラクターを作る側は意識的だろうが無意識的だろうが、歴史的に「見られる性」を担った女性性からイメージされる設定を、キャラクターに盛り込むのである。

それこそが、キャラクターというものの実態と言える。
それは多分に、女性的なものを含んでいる。
その基本的な性別設定や外見とは関係なく、キャラクターである以上そうなのであり、私たちはその部分に魅力を感じるように仕組まれている。

4.キャラクターのこれから

ともあれ。
キャラクターがどういう構造で、どのように私たちの生活に現れ、実際にどのようなものであっても。
それは刻々と変化するものだし、反対になにか基本的な部分が全く変わらないにせよ、それが「私たちの身の回りのものに人格があったら、どれほど魅力的だろうか」ということの希望の産物であることに間違いはないのである。
その表現に、今はまだ女性性というものが便利で、そこから派生するイメージを貼りつけて使われているに過ぎない。
私たち誰もがキャラクターというものを漠然とだけではなく、もう少し意識的に捉えるようになれば、これからますます、キャラクターの需要は多種多様になる。
そのときに、私たちはなにかを見ること、魅力に感じることに関して、女性性とは別のなにかに注目することができるかもしれない。

そのとき、真の意味で新たなキャラクターというものがうまれるのだろう。
そのように思うばかりである。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ。

※関連note:

主文:女体化 ≠ 「女体になること」
 前編: https://note.com/kawausowright/n/n5d09b9941c8d
 後編: https://note.com/kawausowright/n/n3ef8820ffb14

主文:女性的という言葉の呪縛
 前編: https://note.com/kawausowright/n/n5028e84dd2a6
 後編: https://note.com/kawausowright/n/n8ce34c000a50



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