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流行りに乗ら “ない” 気持ちを厭わない

流行りに乗ることを嫌う。流行るものを嫌う。流行らせようとするのを嫌う。そして、流行りに乗る人々を、その態度を嫌うという、いかんともし難い感情がある。

それがなにによるものなのか、と問われた時に、よくあるのは「嫉妬だ」と言う。
流行りを嫌う気持ちは、流行らせることも、流行りに乗ることもできなかった者たちの怨嗟の声だと。単に自らが一大ムーブメントについて行けなかったから、その負け惜しみをしているのだ、と。

確かにそれは正しい。
誰しも、自分ができなかったことなのに、他の大多数ができていることを冷静には見れないだろう。なにかしらの負け惜しみを言って、流行りに乗れなかったことを正当化したくなる。
当然の感情だ。

だが、流行りというものへのアンチな感情は、その嫉妬心ばかりからくるものではない。
ある種ネガティブなその気持ちではなく、そこにはもう1つのポジティブな気持ちが潜んでいる。

それは、シンプルに「もっと良いものがあるのではないか」「より良いものを自分こそがわかっている」という、崇高な芸術への向上心である。
流行りという現象が商業性と分かたれない昨今では、そもそも流行るということが芸術性にクエスチョンを投げかけてしまう。

だから流行りものを見たときに、物申したくなってしまうのだ。特に、より良いなにかを追い求める気持ちのある時に、その言葉は強くなる。

だから、流行りに苦言を呈することを止めるのは、私たちの芸術性をより良くしていくためにも必要な感情からきているのだ。
つまり、それを止めてはいけない。遠慮もいらない。
ただ、その苦言が正当であるかが大切なのであり、流行りに乗らないとか、それに文句をつけること自体が良くないことではない。

今の世の中のより良きコンテンツのために。
流行りと、それを否定していく心の先に、さらなる進化が訪れるのである。


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