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自らの行いで浮かぶ本来の自分

 人それぞれには本来「そうあるべき」という姿がある。今現在の自分とは異なるような、運命や宿命に彩られた姿だ。そういうものは、たとえば占いなどで示される「本当の自分」とでも言うものである。
 本当の自分。残念なことに、大抵の場合、それは都合の良い言い訳として使われることが多い。まだ本気を出していないだけとか、今は芽が出ていないだけとか、運に恵まれなかったとか、ぱっとしない今をなんとか肯定するための言葉である。
 だからそれは、一般的には胡散臭い表現として認識されている。本当の自分とはあり得ない妄言なのに、それにすがっていると。
 けれど本当の自分というのはある。なぜなら運命とは「運」ではなく、私達1人1人の日頃の行いの積み重ねによって、決まっていくものだからだ。

 人生を考えると、それは当然である。私達の行いが、まさに私達自身を形作っていく。至極自然なことだ。だからその行いは、本来の自分を浮かび上がらせていく。しかしその姿を体現できるかどうかは、さらに個々人の行い次第となる。
 そういう意味で、本当の自分は眉唾ものではなく、実際に私達1人1人に設定されている。そしてそれをきちんと達成できるということは、日頃の行いの成果が出たということなのである。素直に。ストレートに、行いが評価された結果としての「本来の姿」だ。
 それは運命でも宿命でもない。何もせずとも手に入るものではない。私達が、それぞれその身に宿す「本来」とは、その行いの、特に良い方向への行いの、結果に現れる実像である。

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