見出し画像

「IPもの」を上手く作っていくために

日本のエンタメには、いわゆるIPものが増えた。
それはIPというものを扱うゲームやイベントなどのクリエイティブのことで、かつては2次創作という形でも盛り上がったジャンルでもある。
それがきっかけがどうかは定かではないが、とにかく今では、本当にIPものが日本に溢れかえり、当たり前になっている。

いわば公式2次創作とでも言うべき状態だ。

特に、ソーシャルゲームのコラボに始まり、IPそのものを用いたゲーム、それに連動した各種イベントなどが、現在では主流だ。

だが、そういったものがたくさん世に出ているからと言って、そのどれもが成功するというわけではない。
IPはそれそのものが扱いが難しいと言うだけでなく、ある点に特に注意しなければ、上手く展開することが難しいからだ。

そもそもIP、そしてIPものとは、端的に「他社のキャラクターや世界観、そしてそれらを用いたクリエイティブ」のことである。
厳密な定義として、知的財産権などの権利の問題はあるが、基本的な扱われ方としては単に「他社のキャラや世界観を扱う」といった考え方になる。

難しい話は抜きにして、そういったIPを扱ってなにかクリエイティブなことをしようというとき。
そんなときに、もっとも注意しなければならないのは「意志」である。
IPというと、すでに世界観が出来上がっていて様々なキャラクターがいるところ、それらを大切にしていこうという意識が働くのは当然である。
そしてそれが他社の世界観やキャラクターであれば、なおさら丁寧に扱っていきたくなるものである。そしてそれはもちろん正しい。
しかし、昨今のIPものを作っていき、展開していくにあたって最も大事なのは、実はIPそのものではない。

必要なのは、IPを扱っている関係各所の意志を、どれだけ汲めるかということである。

断っておくがIPそのものへの理解は深いほど良い。そしてそれを蔑ろにすることは最もやってはいけないことだ。
だが、それを前提としてなお重要なのは、IPの権利を持つ版元や原作者、そのたクリエイティブを任された描くチームなどの、関係者の意思だということである。

特に、昨今のIPものは大小様々なプロジェクトとして動くことが多い。これが個人で行う2次創作との違いで、多くの人間が関わることになる。
そうなると、それらの人々全てに、IPへの理解や考え、クリエイティブへの影響度などがあり、それを無視してIPものを作り・運営していくことは非常に困難になるのだ。

だから、IPそのものへの理解をしのぐくらいの重要さで、関係各所の意志への理解も必要になってくる、というのである。

IPものは、既に出来上がっている世界観やキャラクターを扱う、それそのものへ気を配ることの多いクリエイティブである。
そしてIPものが溢れかえっている現代日本では、単にIP理解が深いだけでは、その成功が約束されているとはいい難い。
そこで、ビジネスとして展開されることの多いIPものにおいては、その関わる人々の考え方や想いなどの、意志をきちんと汲んで、プロジェクトを進めていかなければならない。

キャラクターがや世界観というのは、ただそこにあるのではなく、人が作っているのだということを忘れない、その意識が大事である。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?