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やる気の出ない仕事と、嫌いな人と、好きなもの

 星の形をした風船と、水玉模様の傘と、甘くないカフェラテが嫌いなのだと、彼はガラス張りの如何にもおしゃれな会議室で力説していた。片側の壁には大きなスクリーンがあって、そこには今日の議題の資料が映っている。反対側に皆が座っており、私はそんな彼らをスクリーンの横から見ている。
 つまりプレゼンターは私だ。だからそのような雑談はやめて、さっさと進行させてほしい。でも彼の話を誰も止められない。それはいかにも仕事の話に結びつきそうで、あるいは人生の教訓的な何かに繋がりそうで、しかしその寸前まで行ったところでゴールは遠ざかる。彼の話し方はそんなのの繰り返しだ。結局、彼は本当は何が嫌いなのか要領を得ずに、その話は新たな方向を目指す。
 しかしこの会議室には、それを純粋に魅力的に感じる新入社員が2名と、真似して自分も必ずそういう地位に立ってやろうとして聞き入っている中堅社員が3名と、何も聞いてないのが1名と、そして私がいる。
 つまり彼の星と水玉とカフェラテの話を聞いているのは過半数だ。もう止める術はない。私は資料の説明のため胸の高さまで上げていた腕を下ろした。誰もそのことに気づかない。私は目の前の机にあった資料をまとめて、端の方に置いた。これでも誰も気づく様子はない。流石にスクリーンを消すのは無理だろうと思い、代わりに私は椅子を引き出して座った。
 それは流石に、話を聞いてなかった1名が気づくそぶりを見せたものの、それにすらどうでも良いのか、すぐに目線を手元に落としてしまった。

 そんなわけで、全く何も進まなかった会議を終え、私は午後の仕事も身が入らないままに、惰性で作業をしていた。先ほどの会議はまだ締切までに余裕があるとのことで、来週にまた続きをすることになった。それまでに資料のブラッシュアップを頼まれたが、実のところこの会議が延期になったのは2回目である。
 前回もおおよそ同じような理由で延びており、その原因は当然に彼だった。今、この会社で彼の参加する会議はおおよそ同じような事態になっており、一部の有能な社員や、彼の扱い方を分かっている人達はきちんと対処している。しかし私のような諦めている人間にとって、最早彼のいる会議は無意味な時間に等しい。
「いや、それは俺嫌いだなー、だってさ──」
 例の彼が、窓際の席で話す声が聞こえる。数名の社員が熱心に聞き入っている。私は無視して作業を進めようと思ったが、もう集中力が切れているので到底無理だった。席を立って、近くのコンビニにでも気分転換しに行こうと、廊下へ出た。エレベーターホールは閑散としている。ここはそれなりに高層階にあって、混む時間帯は本当に混むのだけれど、昼下がりのこんな微妙な時間に利用する人間は多くないらしい。エレベーターの階数表示が1つ1つ上がってくるのを見上げていると、ふと隣に気配を感じて視線を移した。

「お疲れ様です」
「あ……お疲れ様」
 会議室で私以外に唯一、彼の話を聞いていなかった人物だ。私はあまり印象になかったが、優秀な人材ということで中途採用されてきたらしい。まだ働き始めて1か月くらいだったと思うけれど、だからこそこの会社の色には染まっていないのだろう。私とその人物はそれきり会話もなく、エレベーターの表示を黙々と見上げ、口を開けたその箱に一緒に乗り込み、同じコンビニに入ってから、やっと左右に分かれた。といっても同じコンビニの店内にいることは事実であり、ちらりと確認すれば、棚の向こうで何やら商品を吟味している様子がうかがえた。私は私で特に目的もなくここに来てしまったことに気づき、とりあえず陳列している商品を見たりしてみるも、別に空腹なわけでもなく、なぜコンビニにはこんなに食料品しかないのだろうとうんざりするくらいだった。
 とりあえず適当なチョコ菓子を手にとってレジに並んだところ、掲げてある看板に「カフェ半額フェア」とある。このコンビニの店員の趣味7日、キラキラした装飾が施されていて、看板の周辺には風船が結わえ付けてあるおめでたぶりだ。しかもその風船が金色の星型だったので、私はふと笑ってしまった。

「あ、カフェラテ」
「買ったんですか」
 コンビニから出てオフィスまで歩いて、今度は上階行きのエレベーターを待っている間、隣に遅れてきたのはまたあの人だった。その手には半額となったカフェラテがある。匂いでそうだと思った。相手も同じことを思ったのか、その視線は私のカフェラテに釘付けだった。
 私達は無言でエレベーターに乗り、そしてオフィスのある階につく。私は当然のように自分の席に戻ろうと思ったが、
「飲んでいきませんか?」と誘われて、2人でオフィスの隣りにあるフロアに移った。そこにはちょっとしたカフェスペースがあり、数名の社員が利用していた。
 空いている適当な席に腰掛け、外の景色を眺めながらカフェラテをすする。外は都会なりのビル群だったが天気がよく、青空からやってくる太陽の光が建物の窓ガラスに反射して細かくキラキラと目に映る。
「……星型の風船でしたね」
と、隣に座る人が言う。その言葉には少しばかりの笑いが含まれているようだった。その言わんとすることが分かって、私は返す。
「カフェラテは砂糖なし?」
「もちろん」
 その人が得意げにカップを揺すって見せるので、私は思わず笑った。自分もそうだと頷いて、もうひと口、この頃味が良くなったと評判の飲み物を口に含む。
「あとは……」と、その人は言葉を続ける。
「あとは、水玉の傘でもあれば良かったんですけど」
 私は笑いをこらえきれなかった。言った当人もそうだったらしい、周囲の視線が少し気になるが、私達は押し殺したように笑いあった。
 あいにくの天気だ。悪いのではなく良い方に。
 私は窓の外の景色のように、晴れ晴れとした気持ちになっていた。そしてそろそろ、仕事に戻ろうと思って空になったカップを持って立ち上がり、気づいた。
「……あ、これ水玉」
「え……あっ」
 私とその人がずっと手にしていたコンビニのカップは、水玉模様だった。私達は今度は笑わなかったが、にんまりして顔を見合わせた。あの話の長い男が嫌いなものに、会社近くのコンビニが加わる日もそう遠くないだろう。また明日、仕事が嫌になったりけだるい気持ちになったら、あのコンビニで砂糖なしのカフェラテを買おうと、そう思った。

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