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恋愛物語に「嫌い」が必須な理由

  物語の中で誰かと誰かが恋人同士になる。結婚する。添い遂げていく。それらの尊い事象は物語のテーマとして本当に強い。なぜなら過程そのものや、結果そのものがコンセプトやオチになるからだ。それを追いかけていくだけで物語は成立してしまう。恋愛とは私達の生きる原動力であり、人生を歩んでいくための目標でもある。だからそれは誰にとっても受け入れやすい。
 けれど私達が目の当たりにする「恋愛」とは、なにも誰かと誰かが一緒になったり、惹かれ合ったり、出会ったりすることを必ずしも伴うものではない。たとえばそれらの反対である、別れたり、嫌い合ったり、すれ違ったりすることも、「恋愛のイベント」だ。
 即ち恋愛物語とは、本当はそういったものも含んでいる。それどころかむしろ、幸せな恋愛結果や過程というのはおまけでしかない。それは物語だからだ。物語にとっては紆余曲折こそが真の姿であり、波乱こそがハイライトであり、困難こそが面白いものである。

 だから恋愛物語は、紆余曲折し、波乱に満ち、困難を乗り越えるようなものでなければならない。そしてそればかりでなく、それがきちんと厚く描かれ、かつ飽きないように緩急も必要だ。また、もちろん登場人物達が恋愛を嫌いにならないように、適度な息抜きやご褒美も必要である。
 恋愛物語における「息抜き」「ご褒美」とはまさに恋愛的に良いことである。それは告白の成功だったり、一緒に過ごす幸せなひとときだったり、襲い来る障害を協力して打破することだったりする。
 だからそれ以外の部分が恋愛物語の本分だ。つまり「嫌い」という感情から来る様々なトラブル、あるいは「好きではない」という感情が引き起こすすれ違い、そしてそれらの変化。

 恋愛物語は、その名称から「恋愛をする」物語と考えられがちだ。しかし四六時中恋愛をしていたのでは疲れてしまう。恋愛は私達にとって(生物にとって)とても大事なものに繋がる事象であるから、どうしても大事にしたくなってしまうのだ。しかし物語にとって大切なのは、実はそこで扱われる目的以外の部分である。もしくは登場人物を目的から遠ざけようとする何かをどう攻略していくのか。
 そういったことから、恋愛物語においては「好き」の感情よりも「嫌い」の感情の、「恋愛をする」よりも「恋愛をしない」ことが、上手に描写されていなければならない

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