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アイデアを保留できない時代に

良いアイデアがでた。
それを形にする前に、頭の中であれこれとこねくり回す。
クリエイティブな作業だ。
表現とは、そうやって内側にあるアイデアを、外側に出す作業である。

しかし、ふと気がつけば、私たちはこの「表現」において、あることをしたくなる。
それは、「出し惜しみ」と「遠慮」である。
「ああ、これは良いアイデアだ。然るべき瞬間に最高の状態で見せよう」
「うーん、これは果たしていいものなのだろうか? 然るべき瞬間に最高の状態で見せるべきだ……」

前者が出し惜しみ、後者が遠慮である。
このような表現の保留をしてしまうのには理由がある。
それは、私たちはアイデアというものが、いつまでも色褪せずに、自分の中にあり、そしてその価値が、いつまでも変わらないものだとどうしても思ってしまうからだ。
しかし、そうではない。

特に昨今は、文化や芸術や価値観、判断基準、伝統、倫理観ですら、目まぐるしく移り変わっている。
そのような時代の中で、個々人のアイデアは、もはや保留に耐えられるようなものではなくなっている。

出し惜しみをすれば、途中で飽きられる。
遠慮すれば、タイミングを逃す。
そんな結果が見えている。だから、アイデアはまず、「表現するもの」ということをしっかりと意識すべきである。
これはつまり、自分の頭の中だけで終わらせないということだ。
良いアイデアは出し惜しみしたくなることもあるし、悪いアイデアは遠慮してしまう。
けれど、それが表現されないのであるならば、それはないものに等しい。
ないというのは、考えついていないのと一緒である。
アイデアを出すために割いた労力・時間が無駄になってしまうのだ。

そういった徒労を避けるためにも、アイデアは少なくとも形にしてみよう。そしてできれば、他の人にも見えるように表現できるとなおよい。
けして、出し惜しみや遠慮は、アイデアを出す前から考えてはいけない。
それはこの時代、アイデアを埋もれさせる行為に他ならないから。

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