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【笑うしかない】80歳になっても解毒されない母親の、57歳になる私にもよく"効く"<毒霧>


◉大学生の頃、生き方の価値観の違いに納得できず「あんた殺してやる」と言って出刃包丁を向けて突進してきた。怖いので酔って母が寝た後に家の包丁を全て空き地に捨ててきた。

◉(携帯電話のない時代)「父が交通事故に遭った」と嘘ついて会社に電話してきて、私に連絡させようとした。実家に住んでいるのに。

◉(父の介助が嫌で)「今ここで父さん殺していいかな」と何度も電話してきた。「私は死にたいのよ」と電話でいつも言うが死のうとしたことはない。30代で膠原病になり誰よりも早く死ぬと言われながらも周りの人たちは死んでも母は死なない。3ヶ月に一度通院して最新の医療と薬に守られてここまで来た。リウマチ内科の主治医に半年前に直に訊いたが、膠原病はコントロールされているし年齢なりの老化はあるけど他には問題はない、と。本人は足が痛くて歩けないと杖を二つ使い、通院の時は車椅子を使うが、ちゃんとリハビリすれば杖一つでどこでも歩けると思う。病院でも、車椅子で来ているのに、500メートル先のトイレには杖一つでスイスイ歩いてゆく。運動するのが嫌いなだけだ。ずっと昔から歩くのが嫌いで徒歩5分の自宅から店までの道程も車に乗っていた。多くは心の問題なのだ。実際に母は内科と同時に精神科にも通い、睡眠薬および向精神薬も処方されている。病気だから不幸、この夫だから不幸、この息子だから不幸と50年間思い続けて、残された人生を無駄にしているのは母本人なのだ。人は幸せだから笑うんじゃない。笑えば幸せになる。母が笑うことが嫌いだ。

◉母が長く転院を繰り返し、寝たきりになって自宅に戻ってきたのは私が小学3年の時だ。以来、母が家事や父と店を手伝いをできるようになるまで3年間は私は母の介護、幼い弟の面倒、家事、買い物をやらざる終えなかった。私の楽天的な子供時代は小学3年までに終わった。その当時私に「大丈夫?」と声をかけてくれたのは、いつも行く肉屋のおばさん、小学2・3年の担任の高山先生だけで、50年前に<ヤング・ケアラー>という言葉あればどれだけ救われたかと今は思う。だから母の体調によって現在の私の生活が犠牲になることを恐れている。

◉私たち夫婦が横浜から逗子に引っ越す報告をしたら「私たちを捨てるのね」と言った。ま、その通りであるけど、大事なのはまず私の人生だ。母から離れることが私の救いだ。

◉私が50歳の頃、数年の努力の末に調理師免許を取ったとメールしたら「私のお金を当てにしないで」と激昂した。私が店を開く、その資金を母親に出させようとするんじゃないかと警戒したらしい。私は店などやるつもりもなく、ただ「よくやったね」と褒めてほしかっただけなのだ。

◉弟が結婚する時、母が自分たちの老後も心配なので弟家族と実家に住むけど構わないかと訊いてきた。私は毒母と離れていたいから実家を出てのであって「もちろん構わない」と答えた。やがて弟は実家を3階建てに立て替えた。ローンを組んで。もちろん担保は親が持つ実家の土地であろう。私は弟に、財産はいらないからお前が親の面倒と墓守を頼むな、と言ってある。その後父が死に、母は一階の老人部屋に住み、親しい男友達と交際を続けた。その間に嫁や孫にも毒を吐き続け、数年前実家を追い出されるように介護施設に入った。そこも半年で出て今のサービス付高齢者住宅に一人で住んでいる。「どうして私の土地(の家)から追い出されないといけないのか」と言い続けるが、嫁も孫も味方にできなかった人格の問題だ。<言葉の暴力>を私は母から身を持って学んだから同居する辛さがわかる。2,000万出すからマンション買って一緒に住まないと誘って来るが、冗談じゃない。私は殺されてしまう。

◉一時期、1日のあらゆる時間に電話かけてきた。早朝に仕事している時も夜寝ている時も。そのたびに電話に出ると「あんた働いてないの?」と問い詰める。私は家で仕事しているのだ。就職先で通勤することだけが働くことではない。私が通勤しているかアリバイを確かめるために電話しているのだ。私が働いていようが働いていなかろうが母親には関係ない。なのに「心配だから」と言うが、私が心配なのではない。いい年をした息子が定職についていないと人に説明できないから恥ずかしいからなのだ。私が自由な時間を得て家にいて創作活動をしようとすると邪魔をする。なぜならそれは「普通」ではないから。母が若い頃からいつも私を詰る常套句は「あんたはなぜ普通になれないの!」である。電話があるから鍋を振っていても出るけど、これほど迷惑な電話はない。もちろん着信拒否する。ずっと昔桑田真澄が巨人に指名された時、「桑田の親が羨ましいわ」とテレビに向かって言ったのを私は今も忘れない。

◉凍るような雨の降る夕に、警察官が家に来て「長男が連絡つかない、倒れてるかも知れない」と母親を名乗る人から何度も電話があるので来たと言う。離れた町の警察に何度も電話して。私はこういう母であるから着信拒否していて何かあったら弟と連絡していると警官に説明した。そうなると警察にも悪いから着信拒否を解除する。

◉弟が仕事が大変だから通院介助を弟の代わりに言ってくれと、母が言うので二度行ったがウンザリだ。短気で文句ばかり言って私の言うことも聞かない。人前で大声出して子供のようにわがまま言うので私も声を張り上げるしかない。人前で。私は人前で怒鳴るのが大嫌いだ。私は朝3時半に起きて往復4時間かけて母のところに来ているのに、病院の待ち時間が長い長いと文句ばかり言っている。心からうんざりする。

◉先週電話かけてきた時には、「あんた働いてないの?」の一言から私を詰り、弟の仕事がいかに大変で寝ていないで苦労しているかといつものごとく話し、私を不愉快にさせてから「で用件なんだけど」と来月の通院介助をやってほしいと言い出した。私は「冗談じゃない。人に物を頼むのに話し方の順番が違うだろう」と電話を切った。

◉今週電話かけてきて「お願いがあるんだけど、土曜日に眼科が予約があるから連れて行ってくれない」と言う。弟の嫁と長女がコロナ感染して弟は二度目の自宅待機になって身動き取れないから、と。私はワクチン接種したばかりで副反応が出るだろうから土曜は約束できないと答える。訊いてみると母も水曜に接種受けるらしい。ならば尚更土曜は延期した方がいい、と。みんなが倒れている時に、急ぎでもない眼科の予約などどうでもいいではないか。

◉ワクチンの副反応で寝込んでいる時に何度も電話するので「迷惑だから電話やめて」と言ったら、半日後知らない番号から電話。母親のいる高齢者住宅の職員から。「長男さんが倒れているかも知れないから連絡してくれと懇願されたので」と言う。今回は着信拒否もしてないのに。常套手段だ。これが重なると心からうんざりする。

◉私はもう57だ。私は実家を出て30数年になる。妻だっている。実家とは2時間離れた町におり、私には私の生活ペースがあり、私のことを日常的に心配するのは妻である。母が「私を心配」だと言う時に心配しているのは私ではない。私が(あるいは弟が)病気になったり倒れたりすることで母の介助をする人がいなくなったり、母の財産が減ることを心配してるのだ。

◉冷静になり笑うためにこうして<毒>の数々を羅列している。母の毒で感情を揺さぶられるのが嫌だ。感情を揺さぶって私をコントロールしようとする。怒鳴り、泣き、愚痴り、嘆き、嘘をつき、親戚に悪口を言い、懇願し、甘い蜜を時に放ち、人や機関を動かし、私を支配しようとする。それが支配であり自分の我儘であり毒であることを自覚しない母。57になっても私の<子ども>を深く傷つける。その<暴力>に対しては笑い飛ばすしかない。

もしも、私の文章で<人生はそんなに悪くない>と思っていただけたら、とても嬉しいです。私も<人生はそんなに悪くない>と思っています。ご縁がありましたら、バトンをお繋ぎいただけますと、とても助かります。