違いを変えるべきものと捉えることをやめると総合的な向上に繋がると思う
俺、ルミネの広告好きなんやけど、前ね、こういうのがあったのよ。
「生まれた感情の分だけ、女は表情が生まれる」
それ見て思ったのは、
「え、男はどうなん?」と。
よくジェンダー問題とか男女平等とかいうし、そういう問題に敏感に反応する人もいるけども、そういう人たちがどのような状態を理想として描いているのかを聞いてみたい。
自分としては、答えの仮説は2つあって、
1つは、追いつき型。現状男性の方が社会において優位に立っているというのを前提に、女性もそういった男性の有する利権取得を求め、それが満たされることを理想とする在り方。
2つ目は、構想型。現状の男性の在り方もまだ不便なものであり、人間としての理想、あるべき姿は他にあるという、本質的な変革の中の過程として女性の権利も求める在り方。
自分の主張としては後者が存在する。
我々人間はまだ発展途上であり、もっとより良い形は存在すると思う。
ただその歴史の一過程として現状の在り方もまたありだと思っている。
この議論はもし理想の在り方が前者だった場合を想定して書くのだが、
ルミネの広告にあるような、女性という存在を特別視してその価値を持ち上げようとする構図の裏にこそ、強烈な性差への意識が存在しているような気がするのだ。
あれは、ジェンダー問題とかに敏感な人はどう思うのだろうか。
客観的に見て、前述の後者のような、「本質的な人間存在」に対する問題意識から発生したジェンダー意識ならばあの広告に対しても疑問符がつくような気がするんだけどなあ。
ファッション業界的視点から見れば性差は大きなビジネスポイントだし、訴求要素としても性差を浮き彫りにすることは自分の性への帰属意識を強くくすぐる。
その考えから見るとルミネの広告は全く問題ないし、成功だと思う。
でもまた別の視点から見るとどうなのかなあ。ってことね。
みんなちがって、みんないい。
俺はまさにそうだなと思っていて。
違いこそが面白さを生み、違うからこそ難しくて夢中になる。
男女というのは違う存在なのだ。
そこをそろえようというのは荒唐無稽で、乱暴な気がする。
だからこそ、男女の違いを包括して違うものとして理解した上で、男女、トランスジェンダーの方も含めて、人間として総合的な向上を目指すべきだと思う。
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