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【日記】「とりあえず」で書きはじめてみないと見つからないこと

 
 しばらく、noteの更新が途絶えていた時期がある。
 過去の記事リストの「2ヶ月前」「3ヶ月前」などの更新記録を見てもらえればわかると思うが、1ヶ月に1、2回程度しか更新できなかった。
 このnoteでは更新ペースはとくに決めておらず、思いついたときに書くスタイルをとっていたものの、一応「日記」を名乗っているのもあって、できるだけ、日々感じた出来事をこまめに記録しておきたかった。
 が、書けなくなってしまった。というより、書こうとすると、手が止まる、という感じだろうか。
 もちろん、仕事が忙しくてゆっくりエッセイを書く時間がとれなかったのも原因の一つではある。2024年の前半は、予定外のことがいろいろ起きて、仕事もプライベートも、なかなか慌しかった。
 けれど、キーボードに置いた手がぎこちなくなってしまったわけは、それだけではなかった。「どう転ぶかわかんないけど、とりあえず、書いてみっか!」という気持ちに、なかなかなれなかったのだ。
 というのも、最近のSNSを見ていると、「余計なことを言わない」ことが、すごくすごく重要視されているような気がしてしまったからだった。
 そう感じたのは、たぶん、YouTubeのコメント欄か何かで「安心して見られる」という言葉を見つけたからだった。いや、わりと何度か見かけるようになったからだった。
 それはもちろん褒め言葉として使われていた。「この人の動画は安心して見られる」「この人の投稿は安心して見られる」「この人のつぶやきは安心して見られる」。そして、この言葉には、おそらく「炎上するかもしれない、という心配をしなくていいから、安心して見られる」という意図が含まれているのだった。
 うーむ、そうか、そうだよな、と思った。これにはわたしも共感する部分があって、というのも、やっぱり自分が好きなクリエイターや著名人が、大勢の人から大批判されているところは見たくない。いくらその人が好きでも、何千件もの批判コメントが集まっているときの、あの怒りの竜巻みたいな群衆の勢いを見てしまったら、怖くなるよ、そりゃ。その人が本当に悪いことをしたのかとか、もっともなことで批判されているのかとか、そういうのは別問題として、「大量の怒り」が一気にぐわっと迫ってくるあの感じが、それだけでもう怖いのだ。びびる。何万匹ものイワシの大群が渦みたいになって海の中を駆け巡る映像を見たことがあるけれど、まさにあんな感じで、「個人個人がそれぞれに意見を持っている」とはなかなか、思えないんだよな。「一個のでっかい怒り」がぐわーっと口を広げて自分を飲み込もうとしてるみたいな、そんな感じがする。
 そういう群衆の熱量を見ていると、自分の「好き」を守るべきかどうか、心配になる。「こんなにみんなに責められている人を好きになった自分がおかしいんじゃないか」と、自分の価値観を疑う方に不安の矛先が向いてしまうことだってあるだろう。
 で、一度そういう光景を見ていると、新しいクリエイターを探すときに、「この人は、余計な発言をしないか」という判断基準をもうけてしまってたりするんじゃないかなあ。
「安心して見られる」というコメントを見たとき、わたし自身も無意識のうちに、インターネット上の誰かを好きになる前に、そういう、ブレーキを踏むかアクセルを踏むかの判断をしていることに気がついた。安心して見られる人がいい。余計なことを言う心配がない人がいい。いちいち「この発言、大丈夫かな」とコメント欄でみんなの反応をチェックしていたら、疲れて身が持たないから。
「炎上」という現象があまりに身近になった世界は、心配ごとが多すぎる。心配しなくちゃいけないことが多すぎる。「別に、SNSがすべてじゃないんだから、気楽に使っていいんだよ」と自分に言い聞かせていないと、無制限に心配してしまう。
 結局何が言いたいかというと、わたしの場合、プライベートでのごたごたがある中で、インターネットでも毎日どきどきはらはらしてたら、心配しすぎて破裂する! ということもあって、何かを発信したり、人の発信を見たりする気にあまりなれなかったのだった。
 まあでも、そうだな。「とりあえず」で書きはじめてみないと見つからないことも、たくさんあるし。なんにも決めずに文字を打ち続けることで「あっ」とわかることも。アラァあんた、そんなとこにいたの!? と言いたくなるような気持ちが出てきてくれることだって。このnoteに好き勝手にいろいろ書くことで、気持ちを整えてきた部分もある。
 平成初期生まれ、インターネット黎明期から(それこそ、古のテキストサイト時代から……相互リンク、キリ番、りあるとかの時代から。ぎゃーっ、懐かし)、ずぶずぶにハマってきたキャリアもあって、いろんなネット絡みのすったもんだを見てきたからこそ、「炎上」の具体的な事例がぱっと浮かびやすいんだろうね。ああ言われそうとか、こういうコメントきそうとか、いちいち前もって脳みそが警告してくれちゃってさ。
 ネットのおかげでできた縁や楽しい思い出もあるんだから、適度な気配りは必要だけれど、過度に緊張しすぎないでいたいなあ、と思うのである。ふう。




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