私のキャリアストーリー

元アナウンサー・映像カメラマン・ディレクター

癒し系ハイスペック動画編集クリエーターの

川嶋まみです。


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私の肩書きを見ると

すごく順風満帆な人生を送ってきたかのように

見えるかもしれません。


実は、かなり、かなり、かなり紆余曲折があり、

途中から

側で見ていた夫は、

「よく頑張ったねー

乗り越えてきてこんな未来が待っていてよかったね」と

言っています。

もう、紆余曲折がありすぎて、

自分の人生から離脱したくなるような出来事も

数知れずありました。

「私を辞めたい」と何度思ったか

わかりません。



ですが、今私は、

離脱せずに生きていたからこそ、

✔︎自宅でリモートで映像やアナウンスに関する仕事をする

✔︎家族も大切にする

✔︎大好きなクライアント様に囲まれている


思い描いていた日々を過ごすことができています。

そんな私の紆余曲折

キャリアストーリーについて綴っていきたいと思います。



このストーリーを語るのに欠かせないのが

大学時代の無謀な挑戦です。


忘れもしない。大学3年生の秋

私は予定していた海外留学が

英語力が足りないことが原因で白紙になり

途方に暮れていました。


私は交換留学でフィンランドへの留学を考えていたのですが

大学3年 就職活動の時期と重なる為

同じ制度を利用した場合は、卒業を遅らせることも

多く、私はどうしても4年間で卒業したかったので、

必死で単位も取って戻ってきたら、

就職活動に専念できるように、

留学に備えていました。

ですが英語力が足りなかった。仕方ない。


取らなければならない単位もすでに取得済みだったので

大学3年生の10月から2月の予定が

ポッカリ空いてしまったのです。


さて、秋から何をしよう!


もう時間もたっぷりあるし、後悔しないように

自分の未来を切り開いてみよう!!



そうだ!!アナウンス受験をしてみよう!!


なぜアナスンス受験??

?????ですよね。


実は、

小学生のときに校内放送の声を

先生に褒められてから

漠然と思っていた

アナウンサーになるという夢


人に新しい情報や素敵なスポットを

紹介したり、伝えたりすることが大好きで

街のお店や素敵なお店を

多くの人に発信することができるテレビという

媒体で、伝えてみたいと思っていました。


ですが、美人ではないし、

飛び抜けた能力があるわけでもない私は、

すっかりその夢に蓋をし、

勝手に諦めていました。


だけど行きたかったフィンランドに

英語学習の努力が足りなくて行けなかった私は

自分の人生を誇ることができるような

挑戦をしてみようと思い、

幼い頃からの漠然とした夢

アナウンサーになる!ということに挑戦することにしました。


そう思い立った私は、大学から一旦地元香川県に戻り

大阪のアナウンススクールに通うことにしました。

当時の私は、アナウンサーというイメージからは

かなり、かけ離れた容姿。

アナウンススクールで

アナウンス受験についての対策を学びながら、

普段は、

全国行脚したり、アナウンススクールの費用を捻出するため

アルバイトをしながら、

夜は、ジムでダイエットに励む日々をスタートさせました。

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