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「メンやば本かじり」ほっこり編


 二〇二四年はまだはじまったばかりだが、すでに心身ともに疲れている人も少なくないだろう。

 今年はなんてはじまりなんだ。

 私も、微力ながらもできることはないだろうかと、募金をしたり、あれこれ考えてはいる。

 だが、行動をおこすためには、自分の心が疲れていては何もできない。

 こんなときは、深呼吸をして、そう、ほっと体の力を抜く。

 動くためには、まずリラックスが一番だ。

 そんなわけで、今日はほっこりする、くすっと笑って心があたたまる一節を本から引いてみようと思う。

 新年最初の「メンやば本かじり」なので、豪華に超大物の作品からだ。

 森鴎外の娘である、森茉莉の『貧乏サヴァラン』。

私の父親は大変に変わったことをしていた。杏を煮て、砂糖のかかったのを御飯の上にかけてたべるのである。

『貧乏サヴァラン』(ちくま文庫)森茉莉 著 早川暢子 編

 
 杏をのっけた砂糖ごはん!!

 のっけご飯上級者すぎるわ。

 さ、さすが森鴎外先生。

 さらに、茉莉さん曰く、父親だけでなく、母親も上級者(?)だそうな。

私の母親は、バナナのことをどういうわけか芭蕉の実と言い、八百屋で、「一寸芭蕉の実を頂戴と言うと、八百屋の鼻垂れ小僧は何のことだか判らないのである。彼女が尊敬していた私の父親がそう言っていたのでもないのに、どうしてそんな変わった名称でバナナを呼んでいたのか、皆目わからないのである。

同上

 どゆこと!? 

 お母さん、どういうことですか!?

 なぜにバナナが芭蕉の実なのか。そもそも芭蕉はどっから出てきたんや。

 さて、芭蕉とバナナの関連は──と、私は自分の頭の中を探ってみたが、惰眠を貪るミジンコしか見当たらない。

 いやてか、お前なんでおんねん。

 私のミソはどこ行ったねん。

 と、胸ぐらを掴んでミジンコを叩き起こそうかと思ったが──ベイビー、きみの胸っていったいどこだい?

 ま、そんなわけで、考えても何もないので、仕方なく家の本棚にある『おくのほそ道(全)』(角川ソフィア)をぱらりぱらり。

 すると、巻末にある解説に、芭蕉の少年時代の話に目がとまる。

聡明で意思の強い少年(芭蕉)は、人生の活路を文芸に見いだして、都の文芸文化を吸収しようと読書に励んだ。
 山国にも京文化の微風は吹いていたが、鰯一匹を食することさえ贅沢と禁じる倹約令が行われる土地柄のこと(…)

『おくのほそ道(全)』(角川ソフィア文庫)松尾芭蕉 角川書店編

 解説によると、松尾家は、「土地の旧家なりの中流生活を維持することができた。」とある。家計が苦しいわけではないのだが、幕府の出した倹約令のために、貧窮に沈んだような日々を送っていたのだろうか。

 となると、私の本棚にある、『視覚化する味覚』という本と繋がっていく。

一九〇五年には雑誌『サイエンティフェック・アメリカン』で、バナナは「貧乏人の果物」だと紹介されるまでにその価値は下がり、大衆の食べ物として認識されるようになったのである。

『視覚化する味覚──食を彩る資本主義』(岩波新書)久野愛 著

 あれ、でも、待てよ。確かにアメリカでは一九〇五年になると、バナナは庶民の食べ物だったかもしれないが、日本ではどうだったのだろう。

 森茉莉さんは、一九〇三年生まれ。ちょうど、台湾からバナナが輸入された年に生まれている。で、バナナのセリが始まるのは彼女が二ニ歳のころ。ただ、母親の「芭蕉の実」話は、子供時代と書かれているので、二〇歳以下だろう。となると、母親である志げさんに、バナナは貧さの象徴という感覚があったかだろうか。これはただの憶測だが、そういう意味ではなかったのではないだろうか。

 では、なぜに芭蕉の実。

 そこで今度は『バナナの歴史』を開いてみる。

バナナ貿易の発展について研究しているダン・コッペルは、紀元前5000年の東南アジアの耕作地と果樹園に、バナナの栽培に成功していた痕跡が見られると強く主張している。

『バナナの歴史』(原書房)ローナ・ピアッティ=ファーネル 著 大山晶 訳

 すごいな、バナナ。そんな昔から、キミは人間の腹を満たしてくれていたのかい。ありがとう。

 ただ、考古学的な資料で証明されているのは、6900年前のニューギニアらしい。

しかし、最初のバナナ園が存在した証拠を実際に見つけるには、ニューギニア、ワギバレーの中央にあるクック湿地帯まで行かねばならない。(…)クック湿地帯で栽培品種化され育てられた最初の2000年の間に、インド、マレーシア、インドネシア、果てはオーストラリア北部で栽培が始まった可能性があることがわかっている。時が経つにつれ、バナナは世界の広範な地域で栽培されるようになったのは明らかだ。
(…)バナナは紀元後200年に中国に伝わり、羊祜[中国の武将]の著作で言及されている。

同上

 す、すごいな、バナナ。世界中を旅しているやん。

 おや。旅といえば──。 

 そうだ。芭蕉は、芭蕉庵に籠っていたわけでなく、旅をしていたからこそ、作品を生みだせたんだった。

 もしかして、茉莉さんの母親である志げさんは、バナナが世界を旅して広まっていったこととかけて、芭蕉の実なんて呼んだのだろうか。

 と、言いたいところだが

 ──あれれれ。『バナナの歴史』の冒頭に、こんなことが書かれているぞ。

英語では一般に「ジャパニーズ・バナナ」と呼ばれる「芭蕉」(学名Musa basjoo)も、「グリーンバナナ」のサブグループのひとつだ。

同上

 おあっ!

 新年早々、やらかしてもうたわ!

 そもそも、芭蕉という名前は、弟子の李下から芭蕉の株を寄贈され、草庵の名が「芭蕉庵」と呼ばれるようになり、本人も芭蕉と名乗ることにしたと『おくのほそ道』に書いてあったやん!

 で、バナナの和名って

 実芭蕉(ただし別称。芭蕉とバナナは違う)ですね。

 わーい、自分、今年もあほやー。やっほーい。

 てか、ほっこりどころか、お前があほすぎて心労がよけいに溜まったって? それは大変失礼しました。

 ちょいと、お待ちください。

 あほがおらず、この世が天才だらけだったら、けっこうカオスですよ。

 なぜなら、あの天才数学者岡潔氏によると

(…)数学の研究に没入している時となると、もっと奥へ入る。こんな時に声をかけられても、もじゃもじゃいっているとしか聞こえないだろう。

『春風夏雨』(角川ソフィア文庫)岡潔 著

 もじゃもじゃて!

 あかんやん、人の話、聞いてへんやん、岡先生。

 とはいえ、天才とはここまで没入できるからこその天才なのだろう。

 もちろん、私は天才ではありませんので、みなさんの声がもじゃもじゃ聞こえることはないでっせ。へへ、ご安心を。

 ただし、ときどき頭の中のミジンコがかさかさ騒いでおりますがね。


◾️書籍データ
『貧乏サヴァラン』(ちくま文庫)森茉莉 著

難易度★★☆☆☆  食へのなみなみならぬ愛が詰まった、エッセイ集。

 細やかな表現により、豊かな味わいを得られる本書。もちろん、後味はすっきりしており、さすがとしか言いようがない。いい塩梅です。アイスティを飲むのにも、わざわざ決まったお店まで氷を買いに行かないと気が済まない。チョコレエトは好きだが、子供の口にしか合わないような甘いのは、だめだときっぱり。ただ、彼女のこだわりは、どこか少女のようでかわいらしく、読んでいても楽しいのである。

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