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Q&A「ボランティア・チャリティー・寄付…そんなに変ですか?」

はじめに
現在、募集しているアンケートがこちらになります!

あと2日で締め切りになりますが、ほんとに前回の70票超えはどうなった!と驚くぐらい、今週はヤバい状態です。

新型ウイルスで世間がそれどころじゃないことを思えば、今なんで「国内の福祉のことのんきに投稿しているの?」といったところでしょう。在宅ワーカーでほぼ新型と関係ない生活してるから、きっとズレているのかもしれない。

ズレているかもしれないけれど、私自身、予定していた仕事はすっ飛んだりしてます。今は大丈夫だけど、先々のことはかなりブラック。今から手を打っておかないと、他に方法はないかな、など。毎日ハードです。今週Twitterあまり更新できず…数字が悪いのは、そこにも原因あり。

その点は、本記事では割愛して「今回のアンケート内容がってどうなの?!」そこを焦点にまとめてあります。

Q&A「ボランティア・チャリティー・寄付…そんなに変ですか?」

①珍しい光景ではないのだけど、珍しい?

※ボランティアやチャリティー、寄付、募金など、このあたりの解釈の違いは省きます。

寄付、募金をしている人って、私は多いと思っていて、だいたいの人は①か②だと仮説をしていました。実際、どれぐらいの頻度で、どれぐらいの金額を…はさておき。

表立って「私!募金してるんです!寄付してるんです!」って話す人がいないだけで、街中を見かけてみれば、いないことはないし、きっと多い。

継続的なもの
・コンビニや飲食店のレジ前にある募金箱
(環境問題などの支援金)
・盲導犬や介助犬を広める活動をしている団体への支援金
・貧しい子どもたちへの募金
・海外へ貧困問題や難民問題を解決する団体への寄付金
・あかはね募金
など
一時的なもの
・災害
・感染症
今回の新型ウイルスでマスクを寄付した話はここに該当
Facebookでは、今回のウイルスに関する募金キャンペーンを実施している
・地域復興や活性
など

時間ではなく、お金の寄付に関してもこれ以上に幅広く、おそらく、したことがない人はいない。

お金ではなく、時間の寄付にあたるボランティア活動を自身で行うことも、身近なこと。地域清掃や、地域の子ども見守りなど。学校の先生の部活指導時間は、ほぼボランティアだと聞いたこともあります。

日本人は、ボランティアやチャリティーに積極的ではないと聞くけれど、知らない間にしていることが多いだけで、細かくみればそんなことない。私はそう思う。謙虚すぎる人が多いだけかもしれない。

そんなに珍しいことではないのではないか。けれど、変な雰囲気になるのはなぜだろう。学生の時も、被災した地域に向けて励ましの合唱テープの録音や募金活動をして送るグループにいることで、しばらく偽善者と言われていたこと。「みんなだって、募金箱にお金入れてたから同じじゃん!一緒じゃん!」そんな心境を久しぶりに思い出しました。

②学生の頃、繫華街で募金契約をさせられそうになった話

ボランティアやチャリティーっていいですよ!みなさん参加しましょう!そんな記事ではありません!私の活動も、誰かになにかを強制させるような内容ではなく「興味のある項目や内容、まず一緒に考察してみませんか?」そんなところです。

賛同し、一緒に働いてもいいよ!投資するよ!と人が少しずつ現れて…そして、これからを変えれたらいいなといった話です。

とはいえ、まるで社会貢献していないといけないような内容にみられたりするかもしれないですし、結局そういうことを無理やりさせようとしていると思われるかもしれません。

ということで、私の過去の話をひとつ紹介します。

強制的は気味が悪い!

「学生の頃、繫華街で募金契約をさせられそうになった話」
繁華街で某ボランティア団体のアルバイターさんに「世界には~」「だから~」「すごく有意義なお金の使い方なんだよ」など。ノルマでもあるのかと思えるぐらい、ゴリゴリなセールスをされたことがあります。

「お小遣いの半分、いや毎月500円だけでいいんだよ。この書類に~。ここをこう書いて~」

中学生ぐらいにもなれば、世界情勢にも多少詳しい。私自身、自分がこのような身になるまで世界の福祉を見てきて、いつかこんな大人になりたいなと憧れもありました。(今も)

子どもの頃、世界平和を願った版画が選考に残り、アメリカ行き目前でウキウキしたことを覚えているぐらい、昔から、そのようなことに私は興味があったのかもしれない。

とはいえ、ごり押ししてくる(おそらくアルバイトの)お兄さんを見て「この人もボランティアでこの仕事しているのかな?」「なんか、実際海外に行ってるのかな?」「ほんとうに、この事業に興味があるの?詳しいの?」なぜだろう…

不信感しか出てこない

昔から、したいことの為に継続的に、ちまちま貯金する人だったこともあり、そんなお金ない!毎月なんて無理!そういった経緯で、不信感もあって、途中で走って逃げました。

強制的な雰囲気は、不信感を生むと私は思う。なぜなら、私もそう思ったことがあるから。

学生ではなく、社会人なら、だれでもボランティア活動や募金ってできるものなのか?ってところですが、私はNO!

今、世界で起きていることをみて、NO!その時々の世界情勢、日本情勢に左右されることもありますよね。また、それだけでなく、個のレベルで見れば、情勢に関係なくNO!なのです。毎月500円?本人が餓死してしまう。

では、それどころじゃない人と、そうでない人の違いはなんですか?といったところですが、それはまた今後、考察していきます。

ちなみに、私の過去の話をすると…

身売りをするかどうか、それぐらいお金がない時がありました。その当時、病的に激太りし続けた私は100kgオーバーだったこともあり、いわゆるデブ専の店を援や風俗かじっている子から紹介してもらい…。

家族と折り合いが悪く、売ってまで自立をしようとしていた時期です。(症状が激悪になって、結局また寝たきり生活に。)

電車もろくに乗れないのに、大阪まで行こうとしてました。「私には生きる価値がない」「私みたいな人間には」など。世間の価値観と、これまで培った価値観に苦しみ、時々死にかけて、時々ハイになって。

死ぬ時期と、ボロボロなのにハイになる時期…病名は今まで投稿してないけれど、わかる人はきっとわかるかと思います。(他にも疾患があり、疑問の残る診断だったこともあるのでエッセイ出版するような機会がくるまで公表していません)

そんな状況のなか、何かボランティアやチャリティーに、寄付や募金を…なんて考えられない。考えてこなかった。

本当に、ここ1年、社会勉強をして、今後のことを考え…「多様な社会、共生社会」「生きやすい、暮らしやすい」「生きがいとやりがい」このあたりのことを、循環できるサービスってないのかな?そう思い始めてからのことです。(すで活躍されているNPO法人さんで勉強させてもらい、日々勉強中)

③継続的な金銭の支援は安易におすすめしない理由

有り余るお金がある人とそうでない人の、貧富の差が年々、国内でひどくなっていることが話題ですよね。

今回の感染症と関係あって、家計が苦しい人もいれば、ずっと家計が厳しい人も。そんな中で、継続的な金銭の支援は安易におすすめするものではないと私は思っています。

有り余る人がお金を出し、きっかけを求めて人が動く。

(人を動かすために、お金or権威は必要だけど、自発的な小さな動きには、あまり必要ない。)

また、継続的に直接ボランティアやチャリティーに参加することも、安易にすすめたり、強制するものではないですよね。

自発的に動いてみようと思える何かと出会うか出会わないか。小さなアクシデント、きっかけで、人生の方向性が変わることと似ているはず。

いろいろと語りましたが、右から左でいいんです。人それぞれ、タイミングがあります。各々の、その時の判断が全てなのです。

たまに、福祉関係の仕事をしていると話すと、それだけで「偉い」「すごいね」なんて言われることがありますが、なにも偉くないし、すごくない。福祉だから希少性があると思っているなら、それは間違い。正しくは、今の社会の間違いです。

④おわりに

時々、話題にあがるようなボランティアやチャリティー、寄付、募金活動に目が行きがちですが、もっと身近なもの。けれど、このようなワードに違和感を感じるのは、世間的に当たり前にしていることが、強制になっていることも原因かもしれません。

強制社会から共生社会になればいいな。そう思います。そして、関わることができれば、私は嬉しいです。

次回の投稿もお楽しみに!
いつも応援ありがとうございます!

蝉緒

⑤今週のアンケート

※だれがどこに投稿したかはわかりません。

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