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昔の卒業ソングを聴くと、思い出す彼女

 卒業シーズンになって、息子が幼稚園、小学校、中学校、高校と、卒業する度に、心をおおいに揺さぶられたなあと思い返す。
 
 noterさんたちのお子さんたちへの思いも次々と上がっていて、良いもんだなあとしみじみきちゃう。泣いちゃう人も寂しがっている人も、明るい気持ちの人も楽しんでいる人も。思いがいっぱいで、晴れやかで。みんな良いな。
 
 そんな中、以前から書きたかった人について、書くきっかけを与えられたものがあって。


***

 女子校でお嬢さま学校に通っていたので、同級生にはびっくりするような家柄の人たちも少なくなかった。ウチはびっくりするほど中のなかの中、念のため。私のせいで兄も私立には行かせてもらえなかったわけで。ごめんよお兄ちゃん。

 今もクリスマスカードを交わしている友達の中に、財閥の人がいる。財閥と近しい親戚なのだろうと思っていたら直系だったのをここ10年以内に知ってひっくり返りそうになった。
 だって彼女はそんなことを一切感じさせない。
 自己主張とはほど遠く、声は小さく、穏やかで愚痴も言わない。我が我がと人を押しのけて目立つようなこともない。人を選ぶようなこともなく、ただ皆を平等に見る。自分とちがうタイプの人たちもおおらかに受けいれ見守る。素直でまっすぐ。謙虚のカタマリでもあって。持ち物も質素。身なりも全然派手じゃなかった。
 それでいてショートカットでボーイッシュ。ソフトボール部のピッチャー。なかなかのボールを投げるのだ。運動部だから早弁だってしちゃうよね。
 あまりに性格が良いので、皆に好かれていて、学年委員長とか面倒見役をさせられていた。そしてそれに関しても決して断らず、皆がやらないのならと引き受けていた。そこでも皆を声高に引っ張るというよりは、静かに、でもしっかり導く感じの子。責任感も強かったからちゃんとやり遂げていたし。そもそもそんな彼女だから、みんな言うことを聞くのだよね。

 席が前後になると、私の椅子を引いたり、いつの間にか私のノートに落書きをしていたり、ささやかないたずら好きでもあった。ブルーハーツなどのロックな曲も好きで、CDの貸し借りもして。当時からの交流はそこそこあった。

 私は愚痴も言うし、人の好き嫌いが激しいから友人も選り好んじゃう。目立っている友人たちはカッコ良いなあ~ってまぶしく見ていた。責任ある立場はなるべく逃げていたし。ショートカットだけは共通していたけど、でも文化部。
 彼女とは住む世界がちがい過ぎる私が「クリスマスカードを集めるのが好きやねん」と言うと、送ってきた。集めていると言って、自分で買って持っていたカードを何枚か見せたけど、誰かと交換とか言っていない。

 へえ。こういうの嫌いじゃないのね。でも高校生なりの社交辞令だろう。と思っていたら翌年もくれる。「そんなことしてたらやめるきっかけ失くしちゃうよ~」なんて子供心に彼女を心配したけど、高校3年生の終わり頃には、カセットテープもくれた。
 当時は、友人同士でもカセットテープに好きな曲を入れて贈り合うことはあって、「聴いた? どうやった?」と感想を求めあうことまで全部セット。そういう面倒くささを互いに受けいれるような、厚かましい関係の友人同士が許されるやり取り。

 私はヒエラルキーの底辺ですらなく皆の外にいて、誰とも何となく楽しくしゃべった。でもグループの境界線がユルいという意味では、女子校ってみんなそんな感じの付き合い方。今親しい人2人も、それぞれ別のグループにいた。
 彼女ともまた別のグループ。
 ただ「高2の時の予餞会の曲、録音したの持ってるんやったらほしいなー」と言って彼女にねだったことはあった。高3を送り出す行事、予餞会は当然彼女が中心になって引っ張っていってくれたし、選曲も。

 でもそれと関係なく、テープをくれたのは何故かよくわからない。彼女は人気者だし、多くの皆にテープを作って贈っていたのかな。私もその一人ねきっと。と思い、「わーうれしい。ありがとう」とわりと軽々しく受け取った。

 中に入っていたのは、DREAMS COME TRUEの「未来予想図Ⅱ」。「松田聖子の「制服」。尾崎豊の「卒業」。ユーミンの「卒業写真」。斉藤由貴の「卒業」などなど。卒業にまつわる曲ばかり。
 私が普段聴かないジャンルの曲もあったので、新鮮な気持ちで聴いた。そして彼女の、卒業に対する思いも想像してみた。

 卒業式は学校生活とのお別れがいやで、そして六年間の、濃密な女子校生活が終わるのが寂しかった。全体的に仲の良い学年で。答辞を読む生徒代表も声が揺れ始めたかと思うと泣いてグダグダの挨拶になり。そんな挨拶をされたみんなも泣き始め。六年間、人前で泣くのを我慢していた私も号泣しちゃった。「仰げば尊し」にいたってはすすり泣く声の方が大きくて、180人くらいで歌っているとは思えないかぼそさだった。

 私たちの学年は成績が悪くて先生方によく叱られた。でも伝統校なのにみんなで校則を変えようと声を挙げて一部を変えるなど、先生たちとも会話が多く、彼女を中心によくまとまっていた。みんなでよく笑い、私が我慢してもみんなよく泣いていた。ほんとうにほんとうに楽しくて面白い6年間。

 でも心の内の細やかなところを語れば単純ではない。私にとってはギリギリの自分でかけ抜けた青春時代。
 帰国後に入学した学校からさらに転校した先の学校でイジメられた小学生時代を終え、受けいれられたように思えた中高時代。
 たくさんのコミュニケーションが生まれ、「良い塩梅」が難しかった。楽しくたって、本当の自分じゃなかった。帰国子女の自分を出し過ぎないように気をつかって、良い顔を保ち続け。自分が何を欲しているのか考えようともしていなかった時期。つまらない思い込みが激しくて、せまい世界で生きていた。

 この後、私はもっと自由で開放的になり、ようやく取り戻した自分を味わいつくす青春時代を送るのだ。20代半ばのころに。
 さらにその後30代前半で、中高時代の「仲良しグループ」とは別れを告げてしまう。ひどい離れ方だった。
 だから。
 あの学年の子たちに会いたいと思わない。

 今でも私と仲が良いのは、中高時代に無理してベッタリ一緒にはいなかった子たち。
 そしてクリスマスカードを交わし続けているのは、その彼女。
 「私が会いたいのは、学年で10人にも満たないと思う」と書いたことがある。
 「えーー! 私は全員に会いたいよ」
 と返ってきた。
 それぞれの性格が露呈しちゃった瞬間だ。
 
 いったい彼女と私の何が合うのよ。仲の良い二人は、私と人付き合いのタイプが似ているのに。

 そろそろ潮時かな。送ってくれた同窓会の写真を見て、もはや誰が誰なのかさっぱりわからない自分に驚き、みんなの雰囲気にウンザリしてしまった。


 翌年。
 彼女は先にカードを送ってきた。

 まだ続けるのか。
 ちょっとうれしかった。

 そのうちそれほど深い話をしなかったはずの、何の欠点も不満もないように見えた彼女も、愚痴のいくつかは書いてくるようになった。いやあなんだか貴重だ。彼女の人間らしさが垣間見れたようでうれしい。「いつだって良い人」でなんかいられないよね。

 それでも私よりずっと生き生きと社会で活躍していて、学生時代のころと同じようにしっかりしている。お父さまが亡くなった時には、仕事の引継ぎが大変そうだったけど、母親にはまかせられないと奮闘していた。責任ある立場で大変だろうに娘ちゃんたちの学校の役員も引き受けている。

 高校三年生の卒業間際、何故カセットテープを送ってくれたのだろう。あとで、皆に配っていたわけではないと知った。
 当時の卒業の歌の数々を聴けば、楽しくて窮屈な中高時代を思い出し、胸がギュッとなる。それからそのテープ。それを作ってくれた彼女。そこに書かれた彼女の字も思い出して、じわじわ頬がゆるむ。

 でも互いにそれほど熱量があるわけじゃないのよねえ。普段連絡取らないし、少し試みたこともあるけど、私が彼女に対して以上に、彼女は私に熱量がない。
 なので彼女とは、関西に行った時に会うわけでもなく、今回も会っていない。ただひたすらクリスマスカードを交換する間柄。
 年賀状をやめても「私は送るね」と送り続けてくる。
 こんな友人関係もあるのだよねぇ。

 なんとなく思う。
 できるだけ皆に平等に接していた彼女だから、私にとっては熱量がないと感じる付き合いでも、彼女にしたら充分なのかもしれない。

 いつの日か。
 本当にいつの日か会えるだろうか。私が声をかけようか。いやあでも彼女は猛烈に忙しい。それはわかっていることだもの。それにそんなに喋ることがない気がしちゃうんだよな。住む世界がちがうしさ~。でも頼めば、そんなこと考えずに彼女はきっとまっすぐな気持ちで出てきてくれる。
 娘ちゃんたちが卒業したら、少しだけ時間ができるはず。

 その日までちゃんとお互いに元気でいたいよね。


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 面白い切り口で卒業ソングについて書いていらしたのは、みらっちさん。そして卒業ソングきっかけで、友人のことを書く機会ができました。ありがとうございます!

 

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。