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夢と体力のせめぎあいの中、どうにか一歩踏み出せそう……??

 もったいぶっていたわけではなく、まだ自分の生活の中でほとんど手付かず、又何も思い描けていない状態だったので、書いていなかった。
 
 元々身体的に余裕がなく、それを言い訳に何もせずにいた。さらにここ数年、更年期症状に悩まされて、やりたいことをあえて先送りにしていた。それは頑張ればできる! ってことではないから仕方ない。
 
 大学で英米児童文学を専攻し、子供の教育に興味を持った。それまでぼんやりと英語の先生になりたいなーと思っていたけど、学校の先生を目指したいわけではないと気付く。そして帰国子女だった自分の辛さを知っているから、帰国子女や日本に住む外国人の何か手助けができればと思い始めた。


 日本語講師養成講座を短期で受講した。初めて能動的に勉強したことだった。23歳くらい。
 それから事務員として働いていた頃に、その会社近くで市のボランティアとして、日本語を教えるアシスタントを募集していたため、声をかけた。
 週1回ほど、仕事帰りに寄ってその様子を見て、少々手伝いらしきこともした。

 ニュージャージーに住んだ時も、外国で日本語講師の勉強をすることが理由の一つ。ニューヨークの日本語講師養成講座の教室まで友人が送ってくれて、そこまでじゃなくてもバス停まで送ってもらって、帰りにはバス停まで迎えに来てくれて、友人が迎えに来れない時は夫となる彼が迎えに来て、と、周りに甘えまくっていました。
 いずれにしても、私は資格をとることができず、修了証で終わっている。

 さらに帰国後、札幌で事情あっての短期間、2か月弱だったかな、知り合いに、前後の先生とのつなぎを頼まれ、某インターナショナルスクールで小中学生に国語を教えた。

 そこで日本語だけでなく、文章がまったくおぼつかない子供たちと出会います。

 別に上手く書けなくて良い。私自身がそんなに書けるわけじゃない。でも「文章」に何を書いたら良いのか全然わからないようで。中学生で助詞もおぼつかない。起承転結しっかりしていなくても良いから、せめて「起」と「承」と「結」を……ふんわりでも良いから、書いてほしい。何があって何を伝えたいのか全然わからない。他にも、文章を書けていても、適当に、こうやって書いておけば良いでしょと差し出している子もいる。本当に何を感じたのかは伝わってこない。提出してほしいレポートの状況もひどい。

 多分皆さんが想像するよりずっとひどいです。私は人に文章のアドバイスができるような立場でもなければ、優れた文章を書いた記憶もない。そんな私が「こりゃひどいわ。どうしましょ」と思うものだった。生徒たちは、ひどくても自虐的にニヤニヤして「適当に書いて出しておけば良い」といった雰囲気を醸し出していた。

 大学生の頃に、アルバイトで何年か塾で教えた経験があったが、そのような一方向のものではなく、授業を生徒が能動的に積極的に取り組める賑やかなものにし、文章の中で一つでも良い部分を見つけて褒めるようにした。2か月弱だったけど、劇的に表現力や構成力が上がった子たちが何人もいた。あの頃の子たちの伸びしろったらすごい。生徒たちと共に、とても楽しい時間だった。

 ただ元来の自律神経の調整の下手さで、体を壊します。終わった後で良かった。しんどくなってしまって、ずっと続けていた、市の広報紙のほんの一部を作るボランティアもやめてしまいました。他に悲しい出来事もあり、何もできない期間が半年ほど続いてしまった。

 母親となってからは、外国人の友人ができて話していると「子供の作文が心配」という声を度々聞いた。塾に行かせるほどでもないけど不安、という人の子供の文章を見て、少し直す手伝いをした。それだけで、すっかり安心したようだった。何もそんなに上手でなくても良いし、受験で作文が必要なら、塾で受験用作文のスキルを習ったら良いけど、そこまでじゃない親子に対してサポートが必要だなあと感じた。

 ちなみに、我が子も塾で習った。息子の低学年の頃の作文は、今でも取ってあるくらい笑える。キャンプに行った話を書かせれば、キャンプに必要な道具や道のりを詳細に書き、何号線をどのくらいの距離走っただのそこから何号線に曲がってどのくらい時間がかかっただのが延々と続くそして着いたと思ったら「楽しかった」で終わる。そのどうでも良い詳細が可笑しすぎて、陰でお腹を抱えて大笑いしながら読んだものだ。

 中学生の頃、講習や行事の感想など、週替わりで色々な生徒のものが載る学年だよりのようなものに、稀に息子のも載った。「上手に書けているね」「こんな感想持ったんだ~」と言うと「その辺は、こういうのに載せるヤツだから、先生が喜ぶように書けば良いんだよ」とニヤリとしていた。いつの間にこんな子になったんだとそれはそれで笑ってしまった。
 
 要領はある程度、誰もが徐々に身に着くとしても、不安感に関しては、帰国子女や外国人の子供、当事者にしかわからないものがあるだろう。

 ただこの田舎で少ない帰国子女や外国人の子供たちをどうしたら良いのかなと思っていた。とりあえず、資格を取らないことには信用も薄いかなと思ったり、行動が先だ!と思ったり。頭で考えているうちはダメだよなと思ったり。でも体がついてこなかったり。
 
 何年か考えてみて、夫とも相談し、私はやっぱりしっかりと仕事として働ける身体ではないと今のところはそう思っている。いざとなれば何とでもするしかないだろうが、今は「いざ」がやってきておらず、無理して頑張ってみてもきっと周りに迷惑をかけどおしだ。今でさえ家族に迷惑をかけている時がある。息子が手を離れ、更年期過ぎたらもう少し元気になるだろうと信じているけど、今の時点では何とも言えない。

 若い頃はそれなりの行動力があり、とにかくまずは動く! ってところもあったけれど、今はその体力がない。考える時間ばかりが過ぎ、焦りもあった。とにかく優先順位を決めようと思索する時間なのだ、と諦めてみたり。

 とりあえずは、日本語講師の資格をとりたい、と思い、昨年少し勉強を始めてみた。ところが真剣味が足らず、なかなか覚えられない。本当は年齢のせいで暗記力が、と言いたくて、その頃もそのように言っていたけど、どうやら「年齢のせいによる暗記力の低下」は、あまり根拠がないと、その頃に知る。「学生の頃と勉強にかける時間が違う」と、至極真っ当なことが書かれてあるのを読み、なるほどね。言えてる。とあっさり言い負かされた。

 ああでも更年期症状に全然勝てない。元々軟弱なのに、早起きしての息子の弁当作りや送迎や、すっかり乗り気になった塾まで加わって、さらに体調は振り回されている。そもそも息子が生まれてから私は元気だった時期なんてあるだろうか。晩御飯を元気に作れたらその日に感謝!ーを自分に言い聞かせていたくらい、毎日首から上をモーローとさせながら暮らしていた。

 いつになったら勉強を始められるのか。
 やはり息子が大学入ってからかなと思っていたけど、最近、夫が、知り合いの外国人に日本語を教えてやってほしいと言い出した。数人いて、今のままだと仕事の時、彼らが不自由するだろうからと。

 おお。相手は子供じゃないけれど、これはチャンスかな。

 「ボランティアで良いなら」と引き受けた。秋からだ。教え始めたら、やっぱり資格がほしいと思うかもしれない。ずいぶん頼りない先生として始めるだろうから、生徒側も続かないかもしれないが、生徒としてももう少し日本語を知ろうとするきっかけになるかもしれないし、私自身も今後の勉強のきっかけになるかもしれない。

 まだ完全に決定した事項ではないし、体力的な自信はないけれど、少しずつ自分の中でも何か動き始めているんじゃないかなあといった印象はある。

 終始、自然発生的にやる気が起きるのを待っているように読めるだろうが、まあ割とそうかもしれない。体力がまだ回らないので、仕方ないと思っています。親、家族、友人、そしてnoteで知り合えた皆さんも「とにかくまずは体を大事に」とメッセージを下さって、優しいからそう書いてくださるのかもしれないけれど、私はそれを真に受けてゆっくりするようにしている。
 動きたくて、つい焦るし、「本当は仕事してお金稼ぎたい!!」なんて自分の気持ちはちょっと抑えていてもらって、まずは本当の意味での「できる範囲内で」自分のやりたいことの第一歩を踏み出したい。


#エッセイ #日本語講師 #日本語 #文章 #体力 #できる範囲

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。