見出し画像

マラソンて罰じゃなくて

 夫がドラクエウオークにハマって、こまめに歩くようになってから、以前走っていた頃の自分を思い出すようだ。
 時々走って、少しずつ取り戻すのも悪くないなと思っている様子。

 以前はよくマラソン会場までついていって応援した。10キロやハーフマラソン、はるばる長野県まで出かけてフルマラソンを応援したこともある。

 会場で、「ご声援お願いします!」のアナウンスを「どうして五千円が要るの?」と呑気に聞き間違えていた息子も、そのうち感化されて「走りたい」と言い出した。

 何のプレッシャーも与えられておらず、本人も感じておらず、好奇心だけで走りたいと言い出した息子。特別に運動神経が良いわけでもない、びっくりするほど悪いわけでもない夫や私以上に良くなかったので、身体を動かしたいと自分から言うのは良いことだ! と思ったけれど。

 何度かの親子マラソンを経て、初めて一人で走る舞台。まさかスタート直後の、競技場を出る前に、最後尾になるとは思わなかった。一人トラックに残されて走る息子。ちょっと泣きそうな顔をして客席を観ている。

 かんしゃくがまだまだひどかった時期。
 どんな心境か。それはもう心配してそわそわと競技場に戻ってくるのを待った。

 息子は最後尾についてくれるスタッフの人と一緒に帰ってきた。
 心配するほど遅かったけど、ちゃんと走っていた。

 走り終えた息子は機嫌が悪くグズグズ言って、何かしら絡んでくるにちがいない。そう思いながら駆け寄ったら、「スタートしたらすぐに一番後ろになっちゃった」と言う。表情は複雑で、気持ちが読み取れない。
 ああもう今からひっくり返って泣くんだろうか。そうだったね。もう走らなくて良いよ。と思いながら「ウン、見えてたよ」と返事する。「走ってみてどうだった?」一応どんな感想だったかなと聞いてみると、「楽しかった!」と急に顔がパッと明るくなった。あっそうなんだ。少し驚く。
 「また走ってみたい?」とさらに聞いてみる。
 「ウン、また走りたい!」
 息子は元気に返事をした。
 

 マラソン大会の会場では、沿道から力の入った親たちの声援が聞こえたものだった。
 「何やってんだよ!」「もっと走れ!」「もっと頑張れよ!」「前の子、抜けるだろ!!」

 苦しそうに走る子たちに、どうなってもらいたいのだろう。まだ小さい子供たちは、誰のために走っているのだろう。楽しめているのだろうか。走るって気持ち良いって思っているのだろうか。

 我が家は運動のできない息子を抱えていたから、なんともそういった考え方には理解ができなくて。
 いや、勉強ができても、勉強に対してそんな考え方はできないな。気合いとか罰とか精神論とか、夫も私も遠い所にいる。
 自分で感じて、自分の頭で考えて、頑張れるかどうか自分の身体にも耳を傾けてほしい。
 いずれにしても、子供が面白いと思って自分から何かに臨むのは私の願いだ。


 息子は小学生いっぱいまで、マラソンを楽しんだ。いつもだいたい最後の方だったけど、長距離走るのを嫌いにならないままでいてくれた。
 
 中学以降は、マラソン大会に出るのは本格的に走れる子たちが多いと、自分で気づいて「もう出ない」と言うようになった。
 そして高校生以降は、体育の時間で、忘れ物をしたら走らされる。走るのが罰になっているのは残念。忘れ物をした→いけないこと→罰を与える、の考え方も好きではないけれど、その罰がマラソンだなんて、いったいいつの時代まで続くのか。
 とりあえず、息子にとってはあまり罰にはなっていないだろうけれど。

 私について付け加えれば、歩くのは大人になってから好きになったけど、走るのはどうも好きではないままだ。でもこれは、あくまでも向き不向きや性格的なもの、好みだと思っている。本来、個人個人でスポーツも勉強も他の何でも、好き嫌いや向き不向きがあって、何かのせいでそれを周りに決められているとしたらそれは残念。

 夫も息子も長距離を走ることに面白さを見出したのだから、きっとまた楽しむだろう。息子はもっと大人になってからかな。もちろん二人とも、自分でその時期はわかるのだろう。私は応援部隊の隊長で!


#エッセイ #走る #マラソン #楽しい #応援  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。